現在、「共同親権」を推し進める社会運動の内部で微妙なすれ違いがあるようだ。
僕はイマイチその内容が理解できていないのだが、共同親権を推し進めるために行なったことが、やりすぎとか謎とかで揉めているらしい(誰に了解をとったとか、誰の責任とか)。
僕とはしてはたいへん良いことだと思う。
元々、共同親権・養育という一点でしか集まっていない当事者(別居親)のみなさんが力を合わせて法改正(来春とも言われる)に向かう時、そうした大目標が目の前に見えてきた時、人間社会は揉めるものだ。
それを内ゲバみたいなバカバカしいものにせず、民放改正という大目標に向けて議論し小さいことで揉めて一時的に団結し、さらに議論したり揉めたり団結して、結局は法改正というゴールに辿り着くのが、さまざまな考えを持つ人間たちが集うムーブメントというものだ。
その間には「リーダー」が出てきたりそのリーダーが挫折したり新しい人が議論をふっかけたりその新しい人が挫けたりと、いろいろある。それはまさに、フランス革命の頃からいろいろある。
それが「当事者」のムーブメントというもので、社会に新しく「権利」を確立するときは欠かせないものだ。
その過程で、たとえばキング牧師が亡くなられたような悲しい出来事も生じる。
そんな、いろいろな人々の叫びや願いや悲しみが起こり通過した後に、ひとつの「権利」が確立される。
近代社会はその繰り返しで、現在の日本であれば、その権利とは、
のことだ。