tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

「新しい戦前」——表現の自由を奪われた時、我々は笑う

■寅さんと梅爺

 

アメリカ大統領選はマスコミでは一件落着のようだが、アメリカや日本のネットニュースを見ているとまだどう動くかわからないようだ。

 

その実態は別の論考に譲るとして、ここでは、昨年からの同大統領選やコロナ騒ぎにおいて見られる「表現」の制限について書いてみる。

 

それらの出来事では、テレビや新聞といったマスコミで報じられることと、インターネット内での人々の伝達の内容には大きな食い違いが見られる。

 

その内容の違いにはここでは触れない。ここで触れたいのは、ネット内でそれらの出来事をとりあげる発信において、数々の「隠語」が用いられていることだ。

それらを並べてみると、

 

寅さん

梅爺

狩人

ペンヌ(ややこしいが「ス」が本当)

P弁護士

DS

流行り病

 

等々、ふだんネットから情報を取得している人以外(普通に地上波テレビでニュースを見る大半の人々)からすると、ほぼ意味不明だ。

 

 ユーチューバーたちは苦笑する

 

ネットといってもYouTubeがその中心になるが(TwitterFacebookも規制は厳しい)、そこでは上の隠語の元名を連呼するだけで「BAN」するのだという。

 

だから、ユーチューバーたちは苦肉の策として、元名ではなく上のような隠語を開発し、それを元に状況分析をしている。

 

分析する時、ユーチューバーたちは現在の表現のし難さを「BANが恐いので申し訳ないです」等、謝りながら語る。多くの方々は誠実にその謝罪と分析を行なっている。

 

その不具合というかめんどくささを説明する時、多くのユーチューバーたちは思わず苦笑している。「まいったなあ」という感じで、その不便さについて嘆く。

 

 ソビエト時代の作家たちのように

 

僕はこの苦笑と嘆きを見て、ああそうか、「表現の自由」が現実に奪われる時、人はこのように嘆き苦笑しながらそれでも表現に向かうのか、と思った。

 

それは、ソビエト時代の作家や記者たちのように、黒い「笑い」に包まれている。ソ連の官僚たちの日常生活を褒め称えつつ実態は揶揄しながら、ピリッと批評を込める。それはギリギリの表現ではあるが、その「笑い」表現の技術を市民たちは楽しんだという。

 

僕は去年からのYouTubeを見ていて、そうした言葉の言い換えがまどろしくって仕方がなかった。

 

また、「ああそうか、表現の自由の規制とはこういうかたちで日常に忍び寄るのか」と嘆いてもいた。

 

だが、それでも我々は表現しようとする。センスのない変な単語を連発しようが、伝達者には言いたいことがある。そして、その変な単語を咀嚼しつつ聞く者には「現状を知りたい」という欲望がある。

 

そういう意味で、「隠語」の意味を考えることができてよかった。

 

だが現在の状況は、そうした隠語が求められるくらい切迫した状況ではある。これは、昭和期の紋切り的規制(たとえば天皇制タブー)をはるかに超えて、「え、寅さん?」と驚くほど、少し前まで普通に使うことができた言葉がタブー化する状況だ。

 

■「新しい戦前」

 

「いま」はとっくに「新しい戦前」になってしまっている。ただ、その渦中にいる人々(つまり我々)は、その不自由さを実感し言語化するのを避ける。

 

数年前に比べて、明らかに公の場で使える言葉が絞り込まれ、「隠語」が求められ、その隠語の発語と同時に苦笑し嘆く。

 

そしてマスコミのニュースは基本「フェイク」である。

 

つまりはこの状況こそが、「新しい戦前」だ。

 

 

Googleブログ(2021.1.8)より転載