tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

女の「野生」の暴力性

  ジェンダー」概念が含む「男らしさ/女らしさ」には、それぞれ紋切的なあり方がある。そこから飛び出て自由になるために、この通俗的ジェンダーをメタレベルで捉えることが、フェミニズムの基本的姿勢だったはずだ。

 

けれども現在、そうした紋切り的ジェンダーの枠を飛び出たあり方が、それぞれの性に備わっていることが明らかになってきたのではないかと僕は思い始めた。

 

これは、SOGI(性対象と性自認のあり方。従来の「LGBT」は誤解を与えやすい)などで示される性的少数者の議論も含むことになるが、ここでは深掘りしない。

 

ここで僕が指摘したいのは、「野生的」と言っもいい、「女の暴力性」のあり方だ。

 

従来のジェンダー議論に隠れてしまっているが、女の一面には、明らかに「暴力」が付随している。

 

それは、実母による児童虐待(虐待ではこれが一番多い)等の、現実の「女による事件」を見ていてもわかる。

 

また、僕が度々指摘する「30代夫婦DVは妻加害が多い」という事実もこの裏付けとなる(子育て世帯では、妻/母が暴力の加害者)。

 

近代風にいうとこれは暴力になるが、ジェンダー議論が示す「女がもつやさしさや気遣い」などの地平は当然超え、またフェミニストたちが体現する「既存ジェンダーから自由になる女の生き方」などからもはみ出ている。

 

やさしさでもなく自由でもない、単に暴力的で凶暴でエゴのためであれば子をも殺す側面が、従来「女」と呼ばれてきた存在にはある(当然「男」にもあるが、その暴力性は既に自明)。

 

ここでは暴力性を取り上げているが、その他、ジェンダー議論が指摘していきた「女らしさ」を飛び越え、またそんなフェミニストたちが体現してきた「自由で理性的なあり方としての女」 も飛び越え、暴力性に満ち満ちた「野生としての女」が存在し、現在その在り方が顕在化してきたと僕は考える。

 

そうなると、こうした「野生の女」については、狭いジェンダー議論では包摂できない。

 

女も、男と同じく、暴力的で戦闘的で(アメリカやイスラエルには女性兵士は普通)肉体的なあり方を既にもっている。

 

こうしたあり方は、従来の「ジェンダー」ではとても掬い取れない。

 

おおざっぽに見て、50年以上続いてきた「ジェンダー」概念が古くなってきたと僕は直感しており、女の暴力性を秘めた議論を前提化する時が来ていると思う。

 

それをとりあえず僕は、「野生の性 wild sex」とでも呼ぼうかな、と思っている。