タイトル: 絵本のない幼児時代とは何か~たとえば「ぐりとぐら」
公開日時: 2018-10-18 14:56:57
概要文: ホリエモンたちのような発信力のある中上流層は、下流層の実態を想像できない。だから、「絵本大
事だよね~」まで語れるが、絵本を読めない若い親たちがなぜ絵本に親和性のない価値を抱いたかまでは想像で きない。
本文:
■読解力とは語彙力に基づく「世界」の広さそのもの
ホリエモンがいつもどおり自分を炎上させながらも、その中身は珍しく直球で語る幼児教育に関するこの記事 (http://blogos.com/outline/332337/?fbclid=IwAR3vkZyOJVtE4kmE5Q53N38sF0tVF1hGddWlFgpZ jqgmSOdvqXUmXPte_OY 【堀江貴文×三田紀房】読解力のないヤツが多すぎる明確な理由)を読んで、なる ほど、貧困層はこのようにして「見えなく」なるのかと思ったので、以下書いてみる。
ホリエモンは、最近の子ども若者たちの「読解力」が落ちたと直撃する。その理由を座談会出席者たちとあれこ れ検討し、結局は幼児時代の「絵本体験」にあるのでは、と指摘する。
読解力とは語彙力に基づく「世界」の広さそのもので、世界の広さは言葉の獲得量に比例し、それを獲得するに は子ども時代よりとにかく「ことばの量」を浴び続けることにつきる。 また、それに加えて、子どもの興味関心に身近な大人(親)が辛抱強く寄り添い、興味関心をベースにしつつさ らにその世界を広げる。
そうした積み重ねで、子どもの「シナプス」がつながっていき、何かの分野で才能がきらめき始める。
このような最先端の議論は徐々に浸透し始めてきているように僕は思うが、ホリエモンの座談会においても、読 解力を伸ばすためには結局幼児時代の「絵本体験」にあるのでは、と言及される。
が、ホリエモン自身は親に絵本をあまり読んでもらったことがなかったらしい。そのかわり、「レコード」で絵本 の物語・言葉世界を享受していったようだ。座談会はこう続く。
{{{ 堀江:朗読とかも付いてるヤツ。......絵本って、お母さんとかが読んでくれるものじゃないですか。
三田:いわゆる読み聞かせってヤツですね。 堀江:そう。でも、ウチは共働きだったから、絵本を読んでくれないわけよ。だから、レコードで......。 三田:昔ありましたよね、ソノシート付きとか。
堀江:僕の持ってたのはソノシートじゃなくて、ちゃんとしたレコードが付いてるヤツで、それが親の代わり。 :http://blogos.com/article/332337/?p=2|【堀江貴文×三田紀房】読解力のないヤツが多すぎる明確な理由 }}}
という感じでダラダラ進んでいくのだが、幼児のホリエモンは、レコードという「親」の力で芳醇な言葉の世界 (=ホリエモンの世界そのもの)を拡大していったらしい。
確かに、絵本は幼児にとっては最強の世界観拡大ツールだ。ときに規範的なものもあるが、たとえば「ぐりとぐ ら」シリーズなどは多くのことを示唆しており、メタファーに満ちている (https://www.fukuinkan.co.jp/ninkimono/detail.php?id=1 ぐりとぐら)。 ぐりとぐらがカステラを協力してつくり、森の友だちたちが喜んでほおばる、そのシーンを繰り返し読んでいく だけで、幼児の世界は広がっていくだろう。
■ぐりとぐらのなかった幼児期を過ごした親
だが、ホリエモンたちには、「絵本のない世界」にまで言及してほしかった。
絵本=絵とことばという抽象世界を享受するには、ことばと絵が一体となったメタファーが炸裂する絵本のペー ジたちを楽しむ余裕や慣れが必要だ。 その慣れは、その絵本を読む親自身が、そうした抽象世界に慣れておく必要がある。
ぐりとぐらが大きすぎるタマゴを発見し、それをカステラにしようと話し合う。 そのシーンについて、あるいは巨大なタマゴについて、カステラという食べ物について、それら抽象性と文学性 を自然に受け入れ、それらの絵と言葉を親自身が楽しみ、自分の子どもたちに伝えていく余裕をもつ必要がある。
その余裕は、残酷ではあるが、「経済的余裕」とパラレルである。 日々の生活はおカネで困っていないからこそ、ぐりとぐらのメタファーを楽しむことができる。そしてその享受 感を、自分の子どもである幼児と分かち合うことができる。
だが、たとえばぐりとぐらのなかった幼児期を過ごした親は、ぐりとぐらが子どもに与える効果が理解できない。 その、巨大タマゴのすごさ、カステラのすごさ、森の仲間たちが和気あいあいとカステラをほおばるすごさが直 感的に理解できない。
だから、スマホを簡単に幼児に与える。
■子ども食堂や塾クーポンの軽さ
階層社会となった我々の社会は残酷だ。
絵本の効果を知らない親は、「ぐりとぐら」なんて無視し、スマホを与える。 経済的に余裕ある親は、ふたりとも仕事をしていたとしても、我が子に「レコード」を与える。
「絵本のない幼児時代とは何か」
という問いについては、それは単純に親の貧困問題と直結すると思う。 が、ホリエモン周辺にはおそらく貧困層は存在しないので、ホリエモン周辺(中上流クラス)では、議論もここ までとなる。
ホリエモンたちのような発信力のある中上流層は、下流層の実態を想像できない。だから、「絵本大事だよね~」 まで語れるが、絵本を読めない若い親たちがなぜ絵本に親和性のない価値を抱いたかまでは想像できない。 それは、広い意味での児童虐待の連鎖(ネグレクトや言葉の暴力)に巻き込まれた結果なのだ。
虐待の連鎖の中では、絵本どころではない。 このように、経済的に恵まれたホリエモンたちに、その発信内容に限界があることが、「見えない貧困」をつくっ ている。それはそれで仕方ない。
子ども食堂や塾クーポンの軽さも、これと似ている。