tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事が中心です😀

〈母権優先-昭和フェミニズム-単独親権司法〉権力

タイトル: 〈母権優先-昭和フェミニズム-単独親権司法〉権力
公開日時: 2020-07-08 16:50:40
概要文: 1. 「イエ(家父長制)回帰」を忌避するための母権優先

2.思想としての「昭和フェミニズム
3.上の組織化(日弁連中心)
4.養育費の確保という集金システムの確立

本文:

 

■「共同親権沼」


たまたま「共同親権」を当欄で考察し、その記事に対して「別居親」(離婚したあと親権を剥奪され子どもと別居 する親たち)の方々から予想外の「感謝」(具体的には Twitter 上での「ありがとうございます」や「いいね」) をいただいたことから、僕はある意味「共同親権沼」にどっぷりつかっている。


この沼は最初想像したよりもはるかに深く、日本社会の課題に光を当てることのできる、多くの問題系を内包し ている。


日本社会の課題とは、「単独親権」のもとに日常的に起こる、虚偽 DV や「子ども拉致」の問題だ。


その一つひとつに対して、当欄ではこれまでこまめに考察してきた。


「虚偽 DV」であれば、このhttps://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200425-00175144/ 虚 偽 DV は 、 「 昭 和 フ ェ ミ ニ ズ ム 」 か ら 生 ま れ た https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200630-00185839/ 「DV 冤罪」~昭和フェミニズ ムの罪記事で考察した。


「子ども拉致」であれば、https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200619-00184051/ もう ひとつの「拉致被害者家族」~離婚時の abduction記事等で考察した。
単 独 親 権 そ の も の の 問 題 に つ い て は 、 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200615- 00183433/ 崩壊した養育費と面会交流が、「単独親権離婚システム」終了の証しで考察している。


ここでの、面会交流がなく養育費のみ求められる問題については、 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200626-00185152/ 別れた親は「人間 ATM」では ない~養育費と親子交流で考察している。


この「面会交流」については、ペアレンティングタイムと言い直し、 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200412-00172834/ アタッチメントが「ペアレン ティング・タイム」をいざなう~離婚後の「面会交流」ではなくで考察した。


■離婚した母はイエから追い出されることが普通だった

 

これらの問題を支える単独親権や「昭和フェミニズム」すべてが詰まった我が国の離婚システム全体については、 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200504-00176800/ 堕落した「離婚システム」な どで考察した。


こう振り返ると、現代日本の離婚に伴う諸問題をだいたい検討してきたようだ。 また、こうして綿密に考察すると、離婚の中で 1~2 割ほどを占めるといわれる(嘉田由紀子参院議員)DV 案 件を除くと(これは警察も入った DV 対応をしていくことになる)、8 割程度を占める多数派の事例のなかに「一 般性」を見出すこともできる。


ただ、一人で考えてもなかなか突破口は見つからないので、知り合いのジャーナリストや共同親権派の弁護士の 方の協力も得て、その「一般性」について考えた。


その結果、現代日本の離婚問題に伴う諸課題について、以下のような答えを導き出すことができた。


{{{:
1. 「イエ(家父長制)回帰」を忌避するための母権優先


2.思想としての「昭和フェミニズム

 

3.上の組織化(日弁連中心)


4.養育費の確保という集金システムの確立 }}}


1.はわかりにくいかもしれない。これから当欄で明らかにしていきたいが、実は日本の弁護士や法曹界はこの「家 父長制への回帰」を最も恐れているという。


日本の単独親権は、現在は母親がその親権を取ることがほとんどだが、戦後の一時期までは、日本独自の「イエ」 が親権を取り(形式的には父親)、離婚した母はイエから追い出されることが普通だった。


現在の母親中心の単独親権は、その追い出された母たちの「人権」を救済することに力点を置いているのだそう だ。


■〈母権優先-昭和フェミニズム-単独親権司法〉権力


この、母/オンナを守る、という点で、「昭和フェミニズム」は絶大な力を果たした。その影響力については、冒 頭のいくつかの引用記事を参照にしてほしい(特に

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200425-00175144/ 虚偽 DV は、「昭和フェミニズ ム」から生まれた)。


この、「母権優先」を守ってきたのがこの 30~40 年の法曹界だったという。母権優先から自然と導かれる「単 独親権」を、一部の弁護士だけではなく、日弁連の中心にいる弁護士たちも信奉しているそうだ。


これは驚きである。


そ し て 、 4. の 「 集 金 シ ス テ ム 」 に つ い て は 、 こ の 記 事 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200703-00186379/ 増えすぎた弁護士~離婚時の 「子ども拉致」の源泉?に書いた。ある意味、腐敗している。


これら、現代日本社会における錯綜する社会システムの混合に関して、現代権力論を創設した哲学者の M.フー コーであれば、


〈母権優先-昭和フェミニズム-単独親権司法〉権力


とでも呼ぶだろう。

子どもは語ることができるか~「娘は心中に承諾していた」

タイトル: 子どもは語ることができるか~「娘は心中に承諾していた」

公開日時: 2020-10-22 19:46:11
概要文: 子どもは語ることができない。その語れなさに想像力を働かせるのは大人の使命だ。また、その語れ なさの代わりに代弁することも、「昔子どもだった」大人の使命でもある。
本文:

 

親による子どもを巻き込んだ無理心中というのはそれほど珍しくはないが、その行為は最低最悪の 暴力である。

なぜなら子どもは自分の思いを基本的に語ることはできない。

語っているように大人(親)には見えたとしても、 それは大人(親)の願望に即した語りとなる。

なぜなら、子どもは、いちばん身近な大人の欲望に合わせることが、その子どもの「生存戦略」になるからだ。


身近な大人(多くは親)の願望を叶えるよう、自分の発言や考え方を合わせていくことが子どもがその世の中で 生きていく上での基本となる。 要は、親に気に入られることが、その子自身の「いのち」を維持することにつながるということだ。


だから、単独親権下の我が国で、理不尽にも片方の親に拉致/連れ去られた子どもは、その拉致の理不尽に憤る ことは決してなく、拉致した親の考え方にひたすら「合わせて」いくことになる。


具体的には、自分が拉致されて別居することになったもうひとりの親を憎むことになる。
あるいは、親子無理心中を親から迫られた時、子どもは「親が願うのであれば」と、その願いを受け入れてしま う。


自分が次の瞬間、殺されるというのに、目の前の親の願望に寄り添っていく。


最近、そのような事件がまたあった (https://news.yahoo.co.jp/articles/77f2163289660b73622c20f4d8cdac0d88a92921 「娘は心中に 承諾していた」6歳女児殺害、殺人罪の母親弁護側が主張)。

 

ここで殺された子どもは、以下のようなやりとりを親としていたという。


{{{ これに対し弁護側は、萩被告が「死にたい。一緒に死んで」と言うと、凜々ちゃんが「痛くないならいいよ」な どと答えたという母子のやりとりを明かし、犯行時に凜々ちゃんは抵抗せず、外傷もなかったと指摘。萩被告が 夫や交際相手と別れ、働きながらの子育てや将来への不安から毎日の生活に絶望し、心中を考えるようになった と訴えた。 :https://news.yahoo.co.jp/articles/77f2163289660b73622c20f4d8cdac0d88a92921|「娘は心中に承 諾していた」6歳女児殺害、殺人罪の母親弁護側が主張
}}}


「痛くないならいいよ」という子ども。その子どもの言葉をそのまま信じてヘリウムガスで殺した親は、その「子 どもを信じて殺す」という行ない自体が最悪の権力であり最低の暴力であるということを想像できない。


そして子どもは、常に身近な大人の思いに寄り添うために生きている。


そして子どもは、おそらく 10 才頃までは自分の言葉をもつことができない。 それまではほとんどが親の言葉の模倣であり、親に気に入られるために生きている。


言葉をもたない存在、言葉のほとんどは身近な親のそれを真似しつつ自己を形成する存在。その存在は、親が「一 緒に死んで」と頼んだ時、「痛くないならいいよ」以外に、どんな言葉を発することができるだろう?


子どもは語ることができない。その語れなさに想像力を働かせるのは大人の使命だ。また、その語れなさの代わ りに代弁することも、「昔子どもだった」大人の使命でもある。


※みなさま、8 年間続いてきた当欄は今回で終わりとなります。長い間のご支援、ありがとうございました。

子どもは語ることができるか~「娘は心中に承諾していた」

タイトル: 子どもは語ることができるか~「娘は心中に承諾していた」

公開日時: 2020-10-22 19:46:11
概要文: 子どもは語ることができない。その語れなさに想像力を働かせるのは大人の使命だ。また、その語れ なさの代わりに代弁することも、「昔子どもだった」大人の使命でもある。
本文:

 

親による子どもを巻き込んだ無理心中というのはそれほど珍しくはないが、その行為は最低最悪の 暴力である。

なぜなら子どもは自分の思いを基本的に語ることはできない。

語っているように大人(親)には見えたとしても、 それは大人(親)の願望に即した語りとなる。

なぜなら、子どもは、いちばん身近な大人の欲望に合わせることが、その子どもの「生存戦略」になるからだ。


身近な大人(多くは親)の願望を叶えるよう、自分の発言や考え方を合わせていくことが子どもがその世の中で 生きていく上での基本となる。 要は、親に気に入られることが、その子自身の「いのち」を維持することにつながるということだ。


だから、単独親権下の我が国で、理不尽にも片方の親に拉致/連れ去られた子どもは、その拉致の理不尽に憤る ことは決してなく、拉致した親の考え方にひたすら「合わせて」いくことになる。


具体的には、自分が拉致されて別居することになったもうひとりの親を憎むことになる。
あるいは、親子無理心中を親から迫られた時、子どもは「親が願うのであれば」と、その願いを受け入れてしま う。


自分が次の瞬間、殺されるというのに、目の前の親の願望に寄り添っていく。


最近、そのような事件がまたあった (https://news.yahoo.co.jp/articles/77f2163289660b73622c20f4d8cdac0d88a92921 「娘は心中に 承諾していた」6歳女児殺害、殺人罪の母親弁護側が主張)。

 

ここで殺された子どもは、以下のようなやりとりを親としていたという。


{{{ これに対し弁護側は、萩被告が「死にたい。一緒に死んで」と言うと、凜々ちゃんが「痛くないならいいよ」な どと答えたという母子のやりとりを明かし、犯行時に凜々ちゃんは抵抗せず、外傷もなかったと指摘。萩被告が 夫や交際相手と別れ、働きながらの子育てや将来への不安から毎日の生活に絶望し、心中を考えるようになった と訴えた。 :https://news.yahoo.co.jp/articles/77f2163289660b73622c20f4d8cdac0d88a92921|「娘は心中に承 諾していた」6歳女児殺害、殺人罪の母親弁護側が主張
}}}


「痛くないならいいよ」という子ども。その子どもの言葉をそのまま信じてヘリウムガスで殺した親は、その「子 どもを信じて殺す」という行ない自体が最悪の権力であり最低の暴力であるということを想像できない。


そして子どもは、常に身近な大人の思いに寄り添うために生きている。


そして子どもは、おそらく 10 才頃までは自分の言葉をもつことができない。 それまではほとんどが親の言葉の模倣であり、親に気に入られるために生きている。


言葉をもたない存在、言葉のほとんどは身近な親のそれを真似しつつ自己を形成する存在。その存在は、親が「一 緒に死んで」と頼んだ時、「痛くないならいいよ」以外に、どんな言葉を発することができるだろう?


子どもは語ることができない。その語れなさに想像力を働かせるのは大人の使命だ。また、その語れなさの代わ りに代弁することも、「昔子どもだった」大人の使命でもある。


※みなさま、8 年間続いてきた当欄は今回で終わりとなります。長い間のご支援、ありがとうございました。

子どもは利用される

子どもは「脅威」に利用される
公開日時: 2017-05-16 09:59:25
概要文: 子どもや平和や自分の現実的あり方を(理想主義的ではなく)徹底的に思考しないと、少年兵に象徴されるように、「子ども」と「現場」はすぐに利用される。

本文:

 

■「今そこにある危機


先週はずいぶん北朝鮮関係でメディアが騒がしかった。

アメリカがついに武力発動させるとか中国もついに我慢 の限界とか韓国も新大統領でどうなるのかとか、まったくゴルゴ 13 好き「おじさん好み」の話題でありながら (僕も実はほとんど読んでる)、その「脅威」の現実性から、列島を呑み込むほどの話題になっている。


僕は少し前に当欄でhttps://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20170509-00070766/ バーター (抱き合わせ)としての高校無償化という記事を書き、現政権が自らの悲願である憲法 9 条改正を高校無償化 という社民主義的なマターを抱きわせにして乗り切ろうとしているとして、いくぶん皮肉を込めて書いてみた。


野党の弱小化という好材料はあるにしろ、現政権はいまだ 50%の支持を得ている。これはおそらく最近指摘さ れるようになった「消極的容認」なのだろうが、それと同時に、外交の緊張状態という点も含まれるだろう。


「ミサイル」という、小説や映画の中でしか知らない用語が、まさに「今そこにある危機」としてメディアで叫 ばれる。そのとき、理想的平和主義の上に議論を積み重ねてきたリベラルの多くは、その存在感が薄くなる。


ここで皮肉なのは、「バーター(抱き合わせ)」として「子ども」という概念を併設して語ることの有効性だ。こ の平和、この子どもたちの笑顔を守るためには、積極的に安全保障を語る必要があるという指摘に対して、反論 することが難しくなってしまう。


■子どもは「小さな大人」だった


世界では(特にアフリカでは)「少年兵」の問題が語られ、子どもは戦争の被害者どころか「現場の尖兵」として 利用されているエリアもある。

この場合も当然子どもは「被害者」なのではあるが、皮肉なことに、洗脳された 少年兵も戦場では人を殺す。

殺したあと(ハイティーンで)退役し重い PTSD に襲われたとしても、戦場という 現場では加害者ではある。


この場合、PTSD と洗脳の被害者ではあるものの、戦場では子ども兵士は加害者であり、その現場では子どもは「子ども」という概念におさまる人ではなく、

「小さな兵士」「小さな大人」

として扱われる。


産業革命までは子どもは「小さな大人」だった(P.アリエスhttp://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html 〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活 L’ENFANT ET LA VIE FAMILLIALE SOUS L’ANCIEN REGIME)のと同じように、現代の戦場でも現場においては子どもは「小さな兵士」だ。


だから現在、戦争の脅威とバーターで子どもという平和を守らなければいけないという思考は、それほど古いも のではなく、おおまかにはここ 200 年ばかりの価値だと思う。

エリアによっては、戦争と子どもは対立概念にはならず、戦争という大きな事象の中に仕方なく巻き込まれる人 間の一部として、子どもは位置づけられてもいる。


つまり、子どもだからといって特別視はできず、戦争という「不思議」というか「人間」を定義する時の一項目 にどうしても巻き込まれてしまう不幸な事象の中の人々の一部として、位置づけられても珍しくはない。


■「子ども=絶対弱者」はラッキー


現在の日本においては、子どもにとってラッキーなことに、子どもは絶対弱者として位置づけられる。

アフリカ の子どもは少年兵にならされるが、日本の子どもは「子ども」として守られる。


哲学的な深いレベルになると、前回ほかで僕が指摘するように、子どもや赤ちゃんは「徹底的に守られるが徹底 的 に 大 人 を 癒 や す 存 在 」 で も あ る ( https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20170510- 00070793/ こども保険の「心地よさ」~責任と正義を超える笑顔と身体の躍動、「守ってあげたい」)。

こうした価値がベースになり、日本の子どもは守られ、その守って当たり前という価値が、外交政策的レベルに おいては、集団的自衛権をもつことの間接的根拠となっている。


これは巧妙ではあるが、多くの日本人の価値を踏まえた保守政権らしいやり方だ。

その巧妙さを受け止 めて対案を出すくらいでないと、現在の野党勢力は劣勢のままだろう。


平和のために子どもをバーターで出してきた権力と渡り合うためには、「子どものための平和」を堅持する現実 的思考と政策を提言できなければ、野党勢力は劣勢のままだ(論理的にはいずれにしろ「9 条改正」 だろう)。


政治からは距離を置いている子ども支援者たちも、それぞれが抱く「脅威と子ども」の考え方を定立しないと、 いつまでも現場に逃げられないと思う。

子どもや平和や自分の現実的あり方を(理想主義的ではなく)徹底的に思考しないと、少年兵に象徴されるよう に、「子ども」と「現場」はすぐに利用される。★

「18 才の父」は逃げる

タイトル: 「18 才の父」は逃げる~貧困と虐待の連鎖をどこで切るか
公開日時: 2016-02-13 13:38:47
概要文: 虐待の連鎖を切断するには、学校のあり方を早いうちから「職業」中心の視点に変え、ハイティーンになって親になったとしても「失業」からは遠くて強い若い親たちを大量育成する。 本文:

 

■若い父は「逃げる」


もちろん全員が全員でもなく、また僕自身が貧困ハイティーン支援とかかわりだしてから日も浅いため一般論に までなりきれないのかもしれないが、10 代出産した若い母のパートナー、つまりその若い父(多くは 10 代)の エピソードを聞いていると、「逃げる」まではいかないにしろ、その不安定さ(仕事が続かない、ゲームやギャン ブルのアディクション等)はある程度は共通しているようだ。


自分の子どもはまだ 6 ヶ月にも満たない場合もあるというのに、その不安定さには驚くばかりだが、貧困ハイテ ィーンのヤングパパたちにはそれこそ「あるある」のようなので、周囲の人々もそれほど驚かない。

「しっかりしろよ」程度の声かけはするかもしれないが、近々訪れるはずの別居→離婚→シングルマザー化→ヤ ングママが新しい彼氏をつくる可能性のリアリティーが強すぎて、現在のハイティーンパパの不安定さはそれこ そ「想定内」のようなのだ。

 

そうして「逃げる」ヤングパパもいれば、そのまま踏みとどまるものの虐待の主役にやるヤングパパもいるだろ う。

虐待が日常化すると当然児童相談所案件となり、子は親から引き離されていく。

そこからまた始まる親と子の物語は、15 年以上あとに子がハイティーンとなり、自分がされたことを今度は「す る側」となって反復される。


こうした「貧困と虐待の連鎖」はお馴染みのものではあるが、誰もがこの連鎖の切断にチャレンジしながらも、 なかなか現実化できていないのが実情だろう。

僕も日々、この連鎖の切断をどの時点で行なえばいいのか考察しているが、そのキーはおそらく「教育」にある と思うようになった。


■「犯人探し」ではなく


1 ヶ月くらい前の当欄でふれたように、「40 才前後のおじいちゃんおばあちゃん」の存在も当然大きい (http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20160108-00053229/ 「40 才のおじいちゃんおば あちゃん」が子どもの貧困を生む)。

虐待の加害者でもありおそらく被害者でもある 40 才祖父母の立ち位置が、 現在の虐待加害者であるハイティーン父母に大きな影響を与えている。


虐待事件では背景化してしまっている、連鎖の直接的原因でもある(つまり虐待ヤング父母をつくりだしてしま った)これら 40 才祖父母への介入をいかに行なうかが、ヤング父母の精神的変化にも影響するとは思う。


そのことが結局は、現在の最大の被害者である乳幼児を守ることにもつながることにはなるだろう。だから、こ れら「40 才前後のおじいちゃんおばあちゃん」の存在を、周囲の者は決して忘れてはいけない。


が、この発想ではどうしても「犯人探し」の色合いを帯びてしまう。

犯人を探し虐待連鎖を切断する(虐待加害 者を特定し更生させ、その加害者をつくりだした祖父母へのアプローチも常時行なう等)発想は、まさにイタチ ごっこであり、支援側が燃え尽きる。


具体的には、児童相談所職員のバーンアウト現象は、いっときの看護師のそれをこれからはるかに上回るだろう。

看護師は、看護学の中に「バーンアウト」が織り込まれているほどの伝統ある支援の専門職でもある。

これに対 して児相職員は普通の公務員が多いそうだから、バーンアウトの意味が自覚できないままバーンアウトととなり 鬱をかかえ退職していく。そんな人、すでに全国に大量にいるのではないか。


■中学から「職業訓練」を


虐待連鎖の当事者たちに対して、虐待事象のあとにアプローチする「支援」的組み立ててではイタチごっこにな り、連鎖はなかなか防ぎきれない。


やはりここは「教育」、つまりはハイティーン親たちができるだけ夫婦関係を円満に維持し、「18 才の父」が逃げなくていいようなシステムの中にヤング親たちを組み入れることが重要だと思う。


それは要するに、中学あたりから「職業訓練」のレールへと、希望する子どもたちを乗せてしまうことだ。 小学校の教育を終え中学に入った時、10 代後半からは社会人として安定的に継続できるようにするために、「使 える」職業訓練を伝達する。


具体的には、日本の 70%を超えるサービス業内において、大学教育でないとわからないような専門知識ではな く、本当にすぐに「現場」(たとえばホテルの接客等)で使えるような技術を中学のうちから実践的に学ぶ。


そのためにはカリキュラムから単位構成からクラス単位から教員のあり方(知識や組織)から学校の建物構造ま で、それこそすべてに手を入れなければいけないだろうが、これは十分やる意味はあると思う。


■「大学の多さ」解消も


虐待連鎖の切断だけではなく、現在の日本の最大問題の一つだと僕が思う「大学の多さ」の解消にもつながるか らだ。 入り口の数が多く(大学)出口の数は以前と同じ(求人数)という、日本のいびつなシステムが、女性や若者の 職業参入を塞いでいるといわれる。


これを変えるには、正社員システムに「短時間低賃金正社員( L 型社員)」を導入するなどとして「下」に開き (個人的には嫌いな発想だが、低いレベルで世界賃金統一というグローバリゼーションの動きには逆らえない)、 非正規雇用の「エリート」として契約や派遣を位置づける等して雇用側も変化する必要はある。


が、なんといっても、あまりにも多くなってしまった大学と、あまりに高くなってしまった「進学率(浪人や専 門学校を入れて 70%を超える)」のために、従来型の大学生ばかり支給される企業側の変化のスピートがついて いけない。


10 代の教育システムの多くに、実践的「職業」の観点が入っていない。

このことが、10 代からの職業育成のコ ースがつくられていないことにつながる(だから若者たちは現在、実践的サービス業スキルをアルバイト体験の 中でしか学べない)。


奨学金のも問題なども、要はこうした動きが底辺にある。


話が膨らんでしまった。 虐待の連鎖を切断するには、学校のあり方を早いうちから「職業」中心の視点に変え、ハイティーンになって親 になったとしても「失業」からは遠くて強い若い親たちを大量育成する。

それによって、母のシングルマザー化を防ぎ、若い父の「逃亡」も防ぎ、それによりステップファミリー化と新 家庭内での虐待も防ぐ、このようなサイクルをつくるしかないと僕は思う。

 

そのために、10 代から実践的な「仕事」を身につけること。これは、少子高齢社会での、若者の新しい生き方に もつながるはずだ。★

「18 才の父」は逃げる

タイトル: 「18 才の父」は逃げる~貧困と虐待の連鎖をどこで切るか
公開日時: 2016-02-13 13:38:47
概要文: 虐待の連鎖を切断するには、学校のあり方を早いうちから「職業」中心の視点に変え、ハイティーンになって親になったとしても「失業」からは遠くて強い若い親たちを大量育成する。 本文:

 

■若い父は「逃げる」


もちろん全員が全員でもなく、また僕自身が貧困ハイティーン支援とかかわりだしてから日も浅いため一般論に までなりきれないのかもしれないが、10 代出産した若い母のパートナー、つまりその若い父(多くは 10 代)の エピソードを聞いていると、「逃げる」まではいかないにしろ、その不安定さ(仕事が続かない、ゲームやギャン ブルのアディクション等)はある程度は共通しているようだ。


自分の子どもはまだ 6 ヶ月にも満たない場合もあるというのに、その不安定さには驚くばかりだが、貧困ハイテ ィーンのヤングパパたちにはそれこそ「あるある」のようなので、周囲の人々もそれほど驚かない。

「しっかりしろよ」程度の声かけはするかもしれないが、近々訪れるはずの別居→離婚→シングルマザー化→ヤ ングママが新しい彼氏をつくる可能性のリアリティーが強すぎて、現在のハイティーンパパの不安定さはそれこ そ「想定内」のようなのだ。

 

そうして「逃げる」ヤングパパもいれば、そのまま踏みとどまるものの虐待の主役にやるヤングパパもいるだろ う。

虐待が日常化すると当然児童相談所案件となり、子は親から引き離されていく。

そこからまた始まる親と子の物語は、15 年以上あとに子がハイティーンとなり、自分がされたことを今度は「す る側」となって反復される。


こうした「貧困と虐待の連鎖」はお馴染みのものではあるが、誰もがこの連鎖の切断にチャレンジしながらも、 なかなか現実化できていないのが実情だろう。

僕も日々、この連鎖の切断をどの時点で行なえばいいのか考察しているが、そのキーはおそらく「教育」にある と思うようになった。


■「犯人探し」ではなく


1 ヶ月くらい前の当欄でふれたように、「40 才前後のおじいちゃんおばあちゃん」の存在も当然大きい (http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20160108-00053229/ 「40 才のおじいちゃんおば あちゃん」が子どもの貧困を生む)。

虐待の加害者でもありおそらく被害者でもある 40 才祖父母の立ち位置が、 現在の虐待加害者であるハイティーン父母に大きな影響を与えている。


虐待事件では背景化してしまっている、連鎖の直接的原因でもある(つまり虐待ヤング父母をつくりだしてしま った)これら 40 才祖父母への介入をいかに行なうかが、ヤング父母の精神的変化にも影響するとは思う。


そのことが結局は、現在の最大の被害者である乳幼児を守ることにもつながることにはなるだろう。だから、こ れら「40 才前後のおじいちゃんおばあちゃん」の存在を、周囲の者は決して忘れてはいけない。


が、この発想ではどうしても「犯人探し」の色合いを帯びてしまう。

犯人を探し虐待連鎖を切断する(虐待加害 者を特定し更生させ、その加害者をつくりだした祖父母へのアプローチも常時行なう等)発想は、まさにイタチ ごっこであり、支援側が燃え尽きる。


具体的には、児童相談所職員のバーンアウト現象は、いっときの看護師のそれをこれからはるかに上回るだろう。

看護師は、看護学の中に「バーンアウト」が織り込まれているほどの伝統ある支援の専門職でもある。

これに対 して児相職員は普通の公務員が多いそうだから、バーンアウトの意味が自覚できないままバーンアウトととなり 鬱をかかえ退職していく。そんな人、すでに全国に大量にいるのではないか。


■中学から「職業訓練」を


虐待連鎖の当事者たちに対して、虐待事象のあとにアプローチする「支援」的組み立ててではイタチごっこにな り、連鎖はなかなか防ぎきれない。


やはりここは「教育」、つまりはハイティーン親たちができるだけ夫婦関係を円満に維持し、「18 才の父」が逃げなくていいようなシステムの中にヤング親たちを組み入れることが重要だと思う。


それは要するに、中学あたりから「職業訓練」のレールへと、希望する子どもたちを乗せてしまうことだ。 小学校の教育を終え中学に入った時、10 代後半からは社会人として安定的に継続できるようにするために、「使 える」職業訓練を伝達する。


具体的には、日本の 70%を超えるサービス業内において、大学教育でないとわからないような専門知識ではな く、本当にすぐに「現場」(たとえばホテルの接客等)で使えるような技術を中学のうちから実践的に学ぶ。


そのためにはカリキュラムから単位構成からクラス単位から教員のあり方(知識や組織)から学校の建物構造ま で、それこそすべてに手を入れなければいけないだろうが、これは十分やる意味はあると思う。


■「大学の多さ」解消も


虐待連鎖の切断だけではなく、現在の日本の最大問題の一つだと僕が思う「大学の多さ」の解消にもつながるか らだ。 入り口の数が多く(大学)出口の数は以前と同じ(求人数)という、日本のいびつなシステムが、女性や若者の 職業参入を塞いでいるといわれる。


これを変えるには、正社員システムに「短時間低賃金正社員( L 型社員)」を導入するなどとして「下」に開き (個人的には嫌いな発想だが、低いレベルで世界賃金統一というグローバリゼーションの動きには逆らえない)、 非正規雇用の「エリート」として契約や派遣を位置づける等して雇用側も変化する必要はある。


が、なんといっても、あまりにも多くなってしまった大学と、あまりに高くなってしまった「進学率(浪人や専 門学校を入れて 70%を超える)」のために、従来型の大学生ばかり支給される企業側の変化のスピートがついて いけない。


10 代の教育システムの多くに、実践的「職業」の観点が入っていない。

このことが、10 代からの職業育成のコ ースがつくられていないことにつながる(だから若者たちは現在、実践的サービス業スキルをアルバイト体験の 中でしか学べない)。


奨学金のも問題なども、要はこうした動きが底辺にある。


話が膨らんでしまった。 虐待の連鎖を切断するには、学校のあり方を早いうちから「職業」中心の視点に変え、ハイティーンになって親 になったとしても「失業」からは遠くて強い若い親たちを大量育成する。

それによって、母のシングルマザー化を防ぎ、若い父の「逃亡」も防ぎ、それによりステップファミリー化と新 家庭内での虐待も防ぐ、このようなサイクルをつくるしかないと僕は思う。

 

そのために、10 代から実践的な「仕事」を身につけること。これは、少子高齢社会での、若者の新しい生き方に もつながるはずだ。★

ポリティカル・コレクトネスの矛盾

タイトル: ポリティカル・コレクトネスの矛盾~「子どもの権利」は正しいが全員から支持されない
公開日時: 2016-12-06 10:50:53
概要文: マイノリティや社会の潜在的問題を代弁・代表することは必要だ。
だがそれが「よいこと」となった時、その運動をしないものが「悪いもの」として排斥されてしまう。それはま さにオートマチックに起こる運動。
本文:

 

■プロレスとトランプ


今回のアメリカ大統領選でのヒラリーの敗北は、すべてのマイノリティ支援運動に大きな問いを投げかけている。

当選者がトランプ氏なだけに氏の個性や主張をアメリカ国民は支持したと思いがちなのだが、多くの記事をチェ ックするうち、今回は総合的に「ヒラリーの敗北」あるいは「ヒラリーに代表されるポリティカル・コレクトネ ス(社会的公平さ)の敗北」であると僕は確信した。


た と え ば こ の 記 事 等 ( [https://www.buzzfeed.com/bfjapan/the-new-

counterculture?ref=mobile_share&utm_content=buffera9416&utm_medium=social&utm_source=fa cebook.com&utm_campaign=buffer&utm_term=.fcRw8Q4pp#.klV5odrjj トランプ氏を支持した「物言わ ぬ多数派」の学生たち])、いま出ている夥しい数の選挙論評を参照してほしい。

この頃は徐々に「ポリティカル・コレクトネス」に対する息苦しさ・物言えなさが、トランプに代表される「適 当だがタテマエではないホンネが見える」議論へと近づいていることを示している。


トランプの手法にはプロレスのそれと比較される (http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20161111/TokyoSports_615885.html “暴言王”トラ ンプの原点はプロレスのWWE)。

引用した記事だけではなく、いくつかのエッセイや記事が、トランプ現象と プロレスの「筋書きのあるバトル」やバトル前後のマイクパフォーマンス等に言及しており、そこに含まれる嘘 とホンネを人々は楽しんでおり、そのこととトランプ当選は同じ地平にあるというのだ。


確かに僕も長らくアントニオ猪木ファンだったので、この「嘘とホンネのエンターテイメント」の魅力のほうが、 ヒラリー的というか「プライド」(ちょっと古いかな)的真剣なバトルよりも「人間味」があって好きになってし まう、というのはわかる。

現在、女性を中心とした新しいファンを獲得して、プロレス人気が蘇ったこともなん となく納得している。

プライド的チョークスリーパー(ワザは正統だがその正統さを理解しなければ何やってるのかわからない)より は、猪木的まんじ固めのほうが「嘘だけど本当」っぽい。


プライドは結局消え去り、プロレスは復活している。この、「嘘だが人間っぽい」という点を押さえた言説でなけ れば、人々を息苦しくさせるようだ。

ポリティカル・コレクトネスは、本当だけれども「人間」「嘘」「余白」を楽しむ余裕がなく、その正統さが多く の人々を遠ざける。


■「子どもの権利」が正しいことは誰もが知っている


僕の仕事の分野でいうと、「子どもの権利」が正しいことは誰もが知っている。

そして「いじめ」もダメだし児童 虐待も当然ダメだ。学校の硬直的なあり方も広く共有されているだろうし、未熟な教師がたくさん世の中にはお りそれらが日々ミスっている(いじめ扇動等)ことも広く知られている。


だからこれらリジッドな(堅い)教育制度に対して、「子どもの権利を守ろう」と、主としてリベラル的な人々は 声をあげてきた。

僕もそこに含まれ、20 代は教育・医療問題の編集者として、30 才以降は現場支援者・NPO 代 表として「子どもの人権」を守るために仕事をしてきたつもりだ。


が、編集者時代からいつも直感的にではあるが思っていたのは、「声高に『子どもの人権』を唱えても案外人々は ついてきてくれない」ということだった。

一部の人々(リベラルや人権的運動の実践者)は当然ついてきてくれる。だがそれはいつも多数にはならない。

かといって人々の多くが子どもの人権を否定しているかというとそうではなく、子どもの人権は大切だけれども学習会に参加するほどのモチベーションはないという人々が一定割合いた。


僕が体験したものとはまったく規模は違うが、今回のアメリカ大統領選でも、ヒラリーに「投票しなかった」人々 が、前回の「オバマには投票した」人々よりも上回ったことがポイントだったと言われる。

いわばこの 8 年間は、 オバマの人間的魅力がポリティカル・コレクトネス的堅さをフォローしてきたものの、「ヒラリーという『公平 さ』の典型的堅い人物」には票は集まらなかった。


だからこそ、ポリティカル・コレクトネスは負けた。言い換えると、だからこそ、ポリティカル・コレクトネス だけを前面に出すとはなぜか人々は離れることが鮮明になった。


■それは「善悪の倫理」とくっついているから


ポリティカル・コレクトネスがなぜ「堅い」かというと、それは「善悪」の倫理とくっついているからだと僕は 考える。


マイノリティや社会の潜在的問題を代弁・代表することは必要だ。 だがそれが「よいこと」であるとなった時、その運動をしないものが「悪いもの」として自動的に排斥されてし まう。

それはまさにオートマチックに起こる運動であって、運動をしないものは倫理的というほど大げさに悪く はないのだが、「する人=良い人」の反対に「しない人=悪い人」というある種の概念操作が行われる。


その概念操作は誰が運転しているわけでもないのだが、事を「善悪」の基準で判断する時、我々人間がどうして も思考してしまう自動運動であり、その強制的自動運動こそが我々人間にどうしてもつきまとう「倫理(エシッ クス)」が引き起こしてしまう限界点だ。


またこれがややこしいのが、そうした善悪基準からの排除の背景に「良心」的ヒューマニズムがあるということ だ。

良心やヒューマニズムがあるため、ポリティカル・コレクトネスに乗っている人もその堅さや狭さを自覚で きないし、そこに乗り切れない人もポリティカル・コレクトネスを正面から批判しきれない。

その良心は誰にも責めることはできず、「よいこと」であり、ここにもまた堅さが存在する。


この立場(良心をペースにした善悪基準を土台にするポリティカル・コレクトネス)にいったん立ってしまうと、 人々は単純になるようだ。

単純になると、人は「プロレス」が理解できなくなる。

その「嘘」や「余白」や「筋 書きというエンタメ」を、間違っているもの=悪いものとして一方的に断罪したくなる。


嘘や筋書きも人間だし、正しさも人間だ。が、正しさのほうにだいぶ「善悪」が存在する。そして嘘や筋書きの ほうに、最近は「自由」が存在するようだ。


■トランプは漁夫

 

おもしろいのは、右的存在だといわれる「2 ちゃんねらー」の多くは実は中道・常識派だったりする。

元ひきこ もりの元若者たちも 2 ちゃんな人は多く、「ポリコレな人々」が大嫌いだったりするものの、僕の知っている 2 ちゃんねらーたちは心優しい青年たちであり、アンチ左翼ではあるがヒューマニストだったりする。


そう、市井のたくさんのヒューマニストたちをポリティカル・コレクトネスは吸収できなかった。

人間は、道徳の教科書通りに生きているわけではなく、堅いイデオロギーからも自由な存在だ。

この自由さを求 める多くの人が現代では保守主義と結びつき(日米欧)、2 ちゃんねらーは日々一見右っぽいことをネットに書 き込む。


反対側では、マイノリティの自由を求めるポリコレな人々が結果として堅い思考に捉えられ、非公式な場でそう でない人々から距離をとられる。

その結果、日米欧とも保守勢力が「漁夫の利」を得ている。トランプもたぶん 漁夫なのだ。


また「社会貢献というコレクトネス」を条件とする NPO やソーシャルセクターもこれは避けられない問題だが、 多くのソーシャルセクターはまだ気づいていない。

それは、ソーシャルセクターたちがポリティカル・コレクト ネス王道を走っていることでもある。★