「中学生サードプレイス」は、不登校や学校での生きづらさを支援すると同時に、これからの75年で人口が半分以下(5,000万人以下)になる日本社会の「地域維持」にとって重要な役割を果たせるのではないか、と僕は期待します。
それは、「高校」ではなく、「中学校」が担うんですね。
つまり、高校と中学では「地域への根ざし方」が決定的に異なるということです。
広域対象の高校では、「地域コミュニティの中心化」は成し遂げにくく、かえって居場所カフェ機能が後回しになる可能性があります。せっかく日本に根付き始めた高校内居場所カフェなので、これは現在のコンセプト(①安心安全②ソーシャルワーク③文化シェア)を純粋に維持していく。
地域社会の中心を担えるのは、あくまで中学校なんですね。
これは、中学校を支える地域の大人たちも意識していることで、それら大人たちのほとんどがその中学出身でもあることから、地元愛と地元中学愛は結びついていると想像します。
そこで、さまざまな制約から「カフェ化」が困難な中学というシステムを逆手に取り、「カフェは無理だけど、地元に根ざすサードプレイスはOK」という点を強調していきます。
*
要するに、多くの高校内居場所カフェが行なう「ボランティアの導入」をより地域限定化し、
地元自営業者や、
地元教育/保健機関(小学校・保育園等職員や保護者)や、
地元高齢者や、
当該中学PTA、
等の「居場所兼交流場所」として機能させるということです。
ここでの「交流場所」がすなわち、地域コミュニティの中心という意味です。「交流」の過程で、それら地域の大人たちが担うさまざまな「文化」(地域の祭りや地場産業の紹介等)を、中学生たちや教員たちが知っていきます。
*
当然、そこには「説教する大人たち」の参入も予想されることから、子どもへの接し方研修は必須となります。
そうした研修も通して、コミュニティ化が図られると僕は期待します。
75年後の日本は人口が今の半数以下(5,000万人以下)となり、大都会周辺の地方やより人口の少ない田舎はほぼ壊滅すると予想できます(僕が生まれ育った四国の田舎などは、確実にそうなるでしょう)。
ただしこれは、日本全体が「スカスカ」になるという意味ではなくて、東京や大阪は逆に強化され、同時にその周辺の町々がスカスカガラガラになるということです。
その周辺の町々の中心にあるのが「中学校」というわけです。
地域はスカスカになっても、そのコミュニティの中心で活動が残っていけば、地域社会は維持できると僕は期待します。
そう考えると、広域対象の高校と、地域社会に根付く中学校ではその性格がまったく異なり、
「地域社会の維持の中心としての中学校/中学生サードプレイス」
は大いに使えると思うんですね。