tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

強欲企業が強欲NPOを「喰う」〜新自由主義化こそが「平等」への現実的手段

 
 

新自由主義とリベラルの接近

 

新自由主義と、現代のリベラルの間に親和性が生まれているようだ。

 

つまりは、「富める者から富んでいく」現実主義(ex.78年以降の中国)が、資本主義と平等主義(リベラル)を接近させてきている。

 

それは皮肉なことに、結果として新自由主義を肯定することになる。効率的な資本主義の現実的あり方が新自由主義だからだ。

 

資本主義を先鋭化させ富めるものを顕在化させるには、そこから無駄を省き(小さな政府化)、多くを民営化させる思考に行き着く。

 

その無駄のない世界で富んでいく者の中に、リベラルな人々も入り込みたい。皮肉だが、「自分が先に富む」ために(その後で自分以外の多くを富ませるために)、このシンプルな新自由主義世界をリベラルが受け入れる。

 

■大手NPO新自由主義への包摂と、大手企業による駆逐

 

アメリカ民主党内での超成功者(元大統領たち)の動きや誰もが知る投資家や財団トップの動きがこれで説明できる。

 

また日本においても、与党政治家はもちろん(野党政治家の存在感はゼロ)、中央官僚や(政令市官僚等も含む)アカデミズム・マスコミなどの多くが、平等主義を標榜しつつも新自由主義政策を支持する、という謎の現象もこれで説明できる。

 

そうした動き(平等主義を目指すために新自由主義による格差を容認する)の尖兵となっているのが、大手NPOでもある。

 

それら大手NPOはこれまで、新自由主義的保育改革(小規模民営化や病児保育)や新自由主義的労働改革(若者労働者の非正規化推進)を担ってきた。

 

だが最新の動きとしては、従来の大手NPO委託型からさらにウィングが拡大している。

 

それは、全国展開する塾や専門学校や人材派遣会社が「不登校支援」「ニート支援」(具体的には行政学習支援やサポステの受託)に乗り出し、大手NPOと競合している動きだ。

 

新自由主義とリベラルの接近により、教育や福祉を担う従来のリベラル組織やそれらが関わってきた分野は、以下のように新自由主義化している。

 

1.大手NPO新自由主義政策への包摂

 

2.大手塾・専門学校・人材派遣会社による、リベラルNPOの駆逐

 

1が新自由主義とリベラルの接近の「ソーシャルセクター」業界での具体形、2が民間大手企業による対人支援業界(教育や福祉や就労支援)への本格的進出を示す。

 

新自由主義化こそが『平等』への現実的手段である

 

現在は、1から2への移行期にあると思われる。

 

いっとき流行った「強欲資本主義」は、いわば「強欲リベラル資本主義」へと変節しつつある。

 

現代の「強欲」化はこれまで通り新自由主義のことではあるものの、それは平等主義と不思議なことに接近し、

 

新自由主義化こそが『平等』への現実的手段である」

 

という強い思想に結実しつつあるようだ。

 

この思想は、ここ30年程度の歴史の積み重ねから導き出されたもののようだ。

 

 

Googleブログより転載

「あの子が死んだのかもしれません」~子の連れ去りabduction にあった母の悲しみ

■ 「こんな暑い日、あの子はどう過ごしているだろう」


この前僕は、離婚時の「連れ去り/拉致 abduction」の被害にあった(子どもを一方的に連れ去られた)「別居親」 の悲しみについて少し書いた。

 

それは父親の悲しみに特定してしまった感があったので、今回は母親の悲しみについて書く。


父親と同じく、理不尽な理由で離婚時に我が子を連れ去られた/拉致 abduction された母親は、数は少ないな がらも存在する。


その理由はさまざまだろうが、「この場面は自分が引いたほうが子どもが悲しまないで済む」的な、女性ジェン ダー的(受動的な配慮に基づく)理由もあるようだ。

 

それは、男性元パートナーと闘うよりは自分が一歩引いた ほうが子どもにとっては楽なんじゃないかという、配慮と態度だ。


その葛藤の奥には、それぞれのカップルの事情はあると思う。だから、目の前の傷ついている母に対して、カウ ンセラーの僕もそこまでなかなか聴くことはできない。


そのため、「別居親」に追いやられた理由に関しては、今のところその原因の一般性にまでは僕は到達していな いのだが、子どもとの別居後、その子を思い日常を過ごす母たちのあり方はわかる。


それら別居母、拉致によって子どもから引き離された母たちは、日常を淡々と過ごしている。けれども、その日 常には常にいなくなった子どものことが含まれている。
たとえば、


「こんな暑い日、あの子はどう過ごしているだろう」

「こんな大雪の日、あの子は無事学校から帰ることができているだろうか」

「コロナにあの子はかかってはいないだろうか」等。


■「こんなことで泣いてはいけないんですが」と言いつつ、謝る


そんな日常(どんな時も子どもを思う日々)を送っている母たちの表情からは、そのように常に子を思い子を心 配する思いはなかなか読み取れない。


けれども、離婚時に子を拉致/abduction された悲しみの傷は、常に抱き続けている。


諸事情があって、その悲しみと理不尽さを Twitter などでは表出できないけれども、常に子を思うことに関して は、前回取り上げた別居親である父と変わりない。


実の母だもの、当たり前だ。


たとえば僕は、ある早朝に突然、Facebookメッセンジャーを受け取ったことがある。それは、


「朝、ネットを見ていると、某県の中学で、プールでの事故があったという記事が目に入りました。その県は、 私の息子が住んでいる県なのです。理性で考えるとそのプール事故で亡くなった生徒さんと私の息子が一致する ことはないのですが、どうしても心配してしまって」


と書いている。


何回かやりとりするうちに結局は電話することになり聞いていくと、その母は号泣してしまう。

 

号泣しながらも 僕に、「スミマセン、スミマセン」と謝る。


僕はそうした事態にはある意味慣れているため、何も謝られる必要はないが、その母たちは泣きながら謝る。
「こんなことで泣いてはいけないんですが」
と言いつつ、謝る。


■あの子は生きているのだろうか


子を授かったという喜びは、その子がいつ死んでしまうかもしれないという強迫観念に襲われ続けることと並列 にある。


その強迫観念は、どんな親も抱いているのではないかと僕は想像している。こんなかわいい子どもを私は抱くこ とができた。今はたまたまこうして抱擁し幸福に包まれているが、この幸福はいつまで続くかはわからない。

 

いついかなるアクシデントで、この幸福が破壊されることはありえる。


世の幸せな母たちは、子を抱擁しつつも、こうした強迫観念に苛まれていると僕は想像している。

 

ましてや、子どもとは関係のない夫婦間の離婚という事態で予想外に我が子と引き離された時、その強迫観念は 常に別居母たちを襲い続ける。


あの子はいま何をしているのだろう?

 

あの子は生きているのだろうか。

 

あの子は死んだのかもしれない。


死んだはずはないに決まっているが、ニュースで流れるその死亡事故と、わたしの子どもの死がどうしてもつな がってしまう。

 

子どもと同居する親(元夫)に電話しても笑われるか無視されるだけなので、失礼とは思いなが らもカウンセラー(僕)にメールしてしまう。

 

結局は電話し、泣いてしまう。どうしても、プールで死んでしま った中学生と、わたしの息子の死がつながってしまうから。


その死で、わたしと彼(息子)のつながりがまったくなくなってしまうから。 そして、わたしも死にたくなるから。


そんな切実な思いを抱きつつ、子を奪われた親たちが日々過ごしていることを、子と同居している一方の親や拉 致 abduction を支持した弁護士は理解しているのだろうか。


早朝に目覚め、ついつい見てしまったスマホに現れたそんなニュース(プール事故等)から、ひとりベッドで泣 く母たちの思いを、我々は想像することができるだろうか。

 

Yahoo!ニュース個人より内野を少し変更

こころの湖 Lake of the heart

■決して一方通行ではないその瞬間

 

2月26日に「校内居場所カフェスタンダード③」があり、今年度3回に渡って検討してきた、「校内居場所カフェ」の基準(コンセプトやソフトを言語化する)づくりの議論をかなり深めることができた。

 

その議論の中で、スタンダード(基準)とは若干ニュアンスが異なるものの、僕が最も大切にしていることについて、言葉にし難いその感じの一端をなんとか言葉で表現しようとした結果、参加者(オンライン30名+リアル数名)の関心を惹いたことが、僕にはある種の喜びになった。

 

その言葉にしにくい感じは、居場所カフェだけに限らず、また支援の現場だけに限らない、コミュニケーションの中で突然訪れる不思議な感じを指す。

 

その不思議な感覚は基本的には「ふたり」の間で生じるものだが、決して一方通行ではない。なぜかわからないが、その瞬間は同時に訪れ、互いのこころを揺り動かす。

 

その「ゆり動く」感じは、こころというある種の「岩」が下のほうから少しだけ動き、同時にその岩の色自体が少しだけ薄くなってくるような感じでもある。

 

■湖にくるぶしまで浸かっている

 

そして、その実感を持ったメタファーは次のイメージを生み、透明になった岩の奥にある風景は、ある種の

 

 

に近い質感をもった深くて暗く、静かだが決して否定的ではない光景が現れる。

 

2/26にオンラインでしゃべったかどうかは忘れてしまったが(貴重なナマ中継にするためzoom録音をあえてしなかった)、そのこころの湖にたどり着いた人は靴を脱ぎ、くるぶしだけその湖の浅瀬につけている。

 

対話の相手は横にはいない。だが現実の視界には、その相手が映っている。そしてその相手の目を見、声を聞き、こちらも声を返す。

 

けれども一方では、その互いのこころの湖 Lake of the heart でくるぶしまで水に浸かり立っている。

 

そんな感じになった時、同時に、どちらかの目に涙が流れている。

 

村上春樹ドゥルーズのそれとも違う

 

そこから10分程度、「告白」的な言葉が続いていくのだが、それは重要なことではないと僕は思う。

 

面談支援の中で度々そんな感覚に包まれる僕は、その感覚がやってきた時にいつも決まって訪れる「告白」を大切に聞いてきた。そして、そんな「神秘的な出来事」を語ることはこれまで封印してきた。

 

だが2/26のイベントでは、自分でもわからないままなぜだかその感覚について話していた。そして不思議だったのは、この話が聞き流されることなく、参加した人々に対して印象的なものとして届いたことだった。

 

それは、C.ロジャーズや河合隼雄といったカウンセリングの達人が書いているようで書いていない瞬間だと思う。

 

おそらくそれは、「文学」形式でしか表せないものだと僕は捉えている。一例として、村上春樹羊をめぐる冒険』の、ラストの「鼠」と「僕」の会話だろうと思うが、うる覚えだが鼠は泣くこともなく僕も聞き続けることもなかった。

 

だが景色としては、このこころの湖は村上春樹が表象するものに近いと思う(たとえば『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」パート)。

 

あるいはそれは、哲学者ドゥルーズが引用する、シェイクスピアハムレット』の一文「『時間はその蝶番から外れてしまったle temps est hors de ses gonds.』」の瞬間なのかもしれない(『差異と反復』2章 G.ドゥルーズ)。

 

ただ、村上春樹ドゥルーズが想像する以上にこのこころの湖 Lake of the heartには、我々を吸い寄せ、静かに人を落ち着かせる瞬間だと僕は捉えている。村上春樹ドゥルーズが強く喚起させる「死」には、僕の場合それほど強くはない。もっとポジティブな瞬間だ。

 

面談室で突然訪れるそのポジティブな瞬間を通過することで、支援の密度はさらに濃くなっていく。

「ひとり親」は差別用語

■親とは、親s

 

ひとつのことばを抽出して文脈関係なく「それは差別用語だ!」と指摘するのは、いわゆるポリティカル・コレクトネスになってしまうので、僕はそうしないよう気をつけている(ポリコレに関しては下の記事等参照)。

blogos.com

 

だが、生活の中に根付く差別は潜在化している。それはことばによって意味をもち、我々は日常の中で知らずしらずそのことばを使っている。

 

そんな場合、僕はそのことばが含む差別的ニュアンスを指摘するよう心がけている。偽善的正義のポリコレではなく、潜在的に人を傷つけることばとしての差別。その差別は、差別されるほうもあまり気づかないまま日々発動している。

 

その一事例が、

 

「ひとり親」

 

ということばだ。「シングルマザー」などもその一連の群に含まれるだろう。

 

精子卵子を抽出し人工的に結合させる形態が普通の出産システムになるであろうはるか未来世界では、この「ひとり親」は別に差別用語までにはならないかもしれない。その時は「親」という概念もだいぶかわっているだろうから。

 

けれども、そんなはるか未来ではなく、ほとんどがセックス後にふたりの人間が親(母と父)になる現在、当たり前だが親は「ひとり」ではない。

 

虐待や貧困、その他の事情で、生まれてきたものの自分のふたりの親とは生き別れになっている子どもにとっても、「実の親」はふたりいる。現代社会ではまだ、決してひとりで子どもをつくることはできない。

 

親とはつまり、親sなのだ。ふたり親がいて初めて子どもが生まれてくる。

 

■「ひとり親」は、「きみの親はひとりだけなんだよ」と強制する

 

ところが現在、我が国では「ひとり親」という言葉が普通に流通している。

 

毎年20万組の夫婦が離婚する離婚大国の日本は世界でも珍しい「単独親権」システムをとっているため、父と母のいずれかに子どもは引き取られていく。

 

離婚するくらいだから多くの元夫婦は関係性が悪いため、それら元夫婦は互いのコミュニケーションを遮断する。

 

だが、親子の愛情は普遍的で基礎的なものである。だから、子どもと別居することになった親(父だけではなく母もこの立場に追い込まれている)は、欧米のように毎週子どもと会い夏や冬は長期休暇を子どもと過ごす生活形式を求めている。そのために親権に関しては平等であることを求めている。

 

これが共同親権と共同養育の思想とスタイルだが、日本はこの形式から巧妙に遠ざかっている。

 

それらの理由はこれまで僕もたくさん書いてきた(たとえばこの記事→

「僕たち子どもの声はまったく届かない、単独親権制度は、子どもの立ち場にたったものではないんですよ」 (1/2)

 

そして現在、国のシステムが共同親権に変化するであろうことも書いてきた。

blogos.com

 

そう、時代は共同親権へと移行しつつあるのだ。

 

そんな時代の変化のなか、「ひとり親」がまだ堂々と流通している。

 

そしてそのことで、親の離婚後にどちらかの親と生活することになった子どもにとって、「自分の親はひとりなんだ」と思い込まされ続ける。

 

また、別居することになった別居親の存在は隠され潜在化させられる。

 

その潜在化させられた人は、けれども確実に「親」なのだ。だが、「ひとり親」ということばが、そのもうひとりの親を隠し潜在化させる。

 

このあたりを、僕がフォローするTwitterの方はこのように表現する。

 

 

そう、子どもにとって、親が離婚しても親は2人いる。「ひとり親」ということばの流通は、もうひとりの親を隠し、離婚に関する最大の当事者である子どもに、

 

「きみの親はひとりだけなんだよ」

 

と強制する。

 

それは、言葉による最大の暴力であり、日常に潜在化している最大の差別用語だと僕は思う。

 

「陰謀論」が世間に存在し続ける限り、その社会の「言論の自由」は守られている

 **

 

ロスチャイルドやロックフェラーやモルガン、19世紀初めのナポレオンのワーテルローでの敗北や20世紀初めのアメリカでのFRBの創設。ロシア革命ボリシェビキ創設の裏話。なによりもロスチャイルド家の紋章の意味や、創設者の子ども男子5人(ほかに5人の女子も)がフランクフルト・ロンドン・パリ・ウィーン・ナポリなどに分散して暴利を追求したこと。

 

加えて「ユダヤ」というターム。繰り返すが、ロスチャイルドの紋章。それが「盾」か「古銭」かはどうでもよく、そこに香る「陰謀」の匂いがその紋章の価値を際立たせる。

 

昨年末のアメリカ大統領選ではディープステート/DSという言葉が氾濫し、それは禁句として今年になっていつのまにか封印されつつあるが、要はロックフェラー系(新大陸系)とリベラル系人脈が結びつき、論者によっては「国際金融資本」、論者によってはグローバリスト等、現代世界を裏で統治する言葉として君臨している。

 

大統領選で敗北したトランプ派は、2ちゃんねるな人たちには正義の味方になっているが、正統的陰謀論(があるとして)からは、大陸系ロスチャイルドの新大陸での粘り、みたいなものとして捉えられる。

 

まあ、どっちもどっちなのだ。

 

**

 

僕がつまらないなあと思うのは、上に書いた噂話が現代では陰謀論として簡単に葬られるということだ。

 

いろいろ読んだところでは、戦前の日本社会では、これら「陰謀論」が楽しい噂話として街中の雑談だったという。陰謀は陰謀としてあやしいかもしれないが、それはそれで真実も幾分含んでいるんだろうから会話として楽しもうよ、みたいな。

 

それが現代ではタブーになっている。

 

僕は、この陰謀論はいくぶんの真実を含んでいると想像している。だから、これを盲信することもせず、陰謀論として最初から否定することもせず、茶飲み話として我々の日常に含ませたほうが健全だと思う。

 

**

 

新型コロナに関して、それは以下の陰謀論で語られる。

 

それは、DSの指示のもと、スイスのダボス会議とかほにゃらら会議とか、限られた富裕層の指示と新勢力(C国とか)の混合された思惑のもとに進められている陰謀というか出来事という語り。

 

実は、僕はわりとこの「陰謀論」を信じる(ピンチョン好きにはたまらない→ロット49とか重力の虹とか)。けれども、多くの人は鼻で笑うだろう。

 

そう、鼻で笑うことも含め、陰謀論陰謀論として消滅させないことがこの議論のポイントだ。

 

逆説的な言い方ではあるが、「陰謀論」が世間に存在し続ける限り、その社会の言論の自由は守られている。あやしい言説が、言論の自由には必要なのだ。

 

その意味で、今年は言論の自由が危ない。

 

 

 

虹の彼方に

 

※※※ 

 

アキラは娘のカナタに、これまで2回自分の絵を描いてもらった。一度はカナタが6才の頃、突然「ママをかく!」とカナタが叫んで始まったものだった。

それまでもカナタは何回かアキラと夫の絵を描いていたが、それはイメージで描かれたものだった。カナタがイメージするヒトのかたちがまずあり、その丸い輪郭の中に目や口などのパーツを描くやり方だった。

カナタの、ヒトや母という固定されたイメージを何度も描き、それは3才よりは4才、4才よりは5才と年齢が上がるたびに上手になっていったが、それはカナタによる絵という言語の発達とパラレルだった。

だが6才になって「ママをかく!」と始めたその絵は、キッチンに座ったアキラに対して「動いちゃダメ!」と言いながら、アキラとノートを交互に見つめ、カナタなりの母の肖像を描きこんでいった。

アキラはじっとはしておらず、時々立ってその絵の進行を観察した。イメージの母、といういつもの丸い顔ではあったものの、いつものイメージを描く線が微妙に揺れていた。その線にはカナタの自信が含まれていなかったのかもしれない。カナタは何回か消しゴムでその線を消し、別の線を上から描いていった。

アキラが驚いたのは、写生してできあがっていくアキラの顔に、カナタが鉛筆で斜線を何本も引き、「影」を描いたことだった。イメージの母には影の線はなかった。だが、この写生の母には、頬の部分に黒く太くななめに描かれた影の線があった。

カナタは納得いかず、その影の線をまた何回か消し、消した上からまた線を描いていった。写生のアキラの絵はそのたびに黒ずんだものの、雰囲気が出てる、とアキラは思った。

カナタはそれでも何度も何度も母を見つめ、初めての母の肖像が完成した。だいぶ黒ずんだ頬をもつ母の顔は、口の部分だけイメージで描いたのだろう、不自然に笑っていた。

その、最後の仕上げにイメージの口を描き始めた時、カナタはこちらを見ずにずっとノートを睨みつけて描いていた。

すると、アキラの目が涙で滲んできた。初めて、娘に写生してもらう喜びの涙だろうか。そこまで娘が成長したことの実感が、彼女にいま訪れているのだろうか。あるいは、娘に直視され続けたことが、母がいつも構えている心の壁を崩したのだろうか。

娘に知られたくないため、キッチンのテーブルの上にあったティシュでその涙を拭いたものの、自分の目が潤んでいるという自覚はアキラにはあった。

最後の仕上げのため顔を上げてこちらを向いたカナタに、アキラは笑みを返すことはできた。

「うまくいかないけど」娘のカナタは恥ずかしそうにしていた。「できた」

アキラはその絵の側に行き、絵についてほめた。

 ※※※

2回目は、カナタが大学4回生のはじめ頃だった。カナタはそれまで2年ほど「先輩」とつきあっていたが、先輩は社会人2年目に会社を辞めてパリに行き、そこに住み始めてしまった。

アキラは多くを聞かなかったものの、どうやら先輩とはその時点で別れたようだった。

「あ、そうか」とアキラは独り言をつぶやいた。「別れてしばらくたった頃だった」

季節は梅雨時だっただろうか。就職活動を始めていたカナタは、その日もスーツを着て出かけるようだった。だが徐々に雨が本降りになり、家の中からでも大きな雨音が聞こえてきた。するとカナタは、

「やめた、やめたー」っと、黒いかばんをソファに投げ出した。

アキラも、そんな土砂降りの中をくだらない就職活動をするのはバカバカしいと思い、「やめろ、やめろー」っと言って笑った。

するとカナタは、ソファに投げ出した黒いかばんの中からノートを取り出してそのままソファに座った。そして、

「ママを描いてあげる」と言い、「はい、そこに座って」と、15年以上前に座ったのと同じ椅子をボールペンで指した。

アキラはその展開がおもしろくて、娘に言われるままに椅子に座り、娘のほうを見た。自分が年をとってしまったのかもしれない、とふと彼女は思った。

「ママ、若々しい」と言いながら、カナタはボールペンで描いていった。

それはアニメのキャラクターのようでありながらも、不思議に実写感のある線だった。15年以上前と同じく、母のアキラはじっと座らず時々立って娘の絵を覗いた。鉛筆ではなくボールペンを使っているせいか、6才の頃より、その線はずっと細い。けれども、その細い線が描く影は濃密でリアルだった。

「上手よね」とアキラはつぶやいた。「こんなに上手なんだから、就職なんてやめて、マンガでも描けばいいのに」

「黙って座る」カナタは厳格に言って母を座らせた。そして、母のアキラの顔と、手元のノートを交互に見つめ、肖像画を続けて描いていった。

カナタのもとには、当たり前だがパリからの手紙は届いていない。先輩はパリの住所を知らせてきてはいたが、カナタから手紙を書くことはできない。2ヶ月前に届いた手紙には、ポルトガル人の女と話が合う、と先輩は書いていた。ポルトガル人とは英語で会話しているといい、お互い英語が下手くそだから話が合うんだろうハハハ、みたいに先輩は書いていた。

母の肖像画は、その頬に少しだけ斜線を書き込み、完成間近になった。カナタはパリのことは忘れてその頬に集中しようと思った。

「もうちょっとで完成するよ」とカナタが言った時、その目に涙が浮かび始めた。パリのことは頭の中にはなかったはずなのに、それは目の縁に留まっていたのかもしれない。

アキラは娘のその様子を見て、「それだったらコーヒーでも入れるよ」と言って椅子から立った。2つのカップにインスタントコーヒーを入れ、ポットから湯を注いだ。

カナタは、大きな声で泣き始めた。カナタ自身、なぜこんな大きな声で泣いてしまうのかわからなかった。先輩のことは吹っ切ったはずだ。いや、吹っ切っていなかったとしても、こんな大声で泣くことではない。

外の土砂降りの雨は続いていた。だからカナタの泣き声は誰にも届かず、ただ母のアキラのみが聞いていた。

母のアキラは、15年以上前に、6才のカナタに自分の肖像画を描いてもらった時、あの時は自分が泣いてしまったことを思い出した。

 ※※※

インスタントコーヒーといってもその香りは強烈で、母子を香りの空間の中に閉じ込めていた。娘のカナタはずっと泣いていた。母のアキラはその様子をじっと見つめていた。6才の娘に、あのあと私はどうしたんだっけ? 娘を抱きしめたのかな、それともつくり笑いでごまかしたんだっけ?

カナタはようやく泣くことを終えるようだった。雨も小ぶりになっているようだった。虹が出ているかもしれない。

6才の時、絵を描く自分を見て泣いた母のことなどすっかり忘れているカナタは、先程まで大声で泣いていた自分についてそれほど恥ずかしく思っていないないことに、自分でも驚いていた。そして、

次からは。と二人は思った。

次からは、

「絵を描く時は慎重に」と二人は同時に言った。

やっぱり親子なのか、言い回しも同じ感じで、「シンチョウニ」とハモった。

「そう、慎重に、だよ」と母のアキラが言うと、

「了解です!」と娘のカナタは答えた。

カナタの目に涙は残っていたものの、口元は笑っていた。その口元はイメージの笑いではなく、いま、この時の、22才のカナタがその土砂降りの雨の日に衝動的に浮かべ、雨がやんだあと外には虹が出ているかもしれない空気に包まれた、6才っぽくもある笑みだった。

 

情熱のポリティカルコレクトネス、その弱点

2017-04-07 Yahoo!ニュース個人より


■20 代の編集者時代


あれは僕が 23 才の時、友人の松本くんが「市民目線の医療雑誌をつくろう! 」と燃えて僕も同調し、さいろ社 (当時は別名だったが)という独立系出版社を共につくった。今風に言うと、出版社を「起業」した。


広告を一切載せず読者からの購読料のみで運営したため経営はたいへんだったが、スポンサーを意識せずに好き な特集を組めるため、さいろ社は徐々に評価され始めた。 雑誌の特集では、看護師不足や脳死臓器移植問題を取り上げ、全国紙や NHK にとりあげられもした。それらは 単行本になり、さらに話題を呼んだ(

https://www.amazon.co.jp/%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%A9%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E8%BE%9E%E3%82%81%E3%82%8B-%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88/dp/4916052013

)。


当時、僕は編集者として不登校問題を取材し、記事にしていった。そのなかから「自己決定」を題材に単行本も つくったが(『子どもが決める時代』→残念ながら絶版)、その取材活動がきっかけとなり、20 代後半ころには 僕は編集者から支援者へとシフトしていった。 

また、「自己決定」というテーマは僕に長年とりつき、やがては大阪大学の大学院で「臨床哲学」(なんと、鷲田 清一先生が主任教授でした)を徹底的に勉強することになった。
その意味でも、さいろ社での活動、20 代の編集者時代は、僕にとって「原点」なのだ。


■「愛と汚辱」


看護師不足や脳死臓器移植、あるいは延命医療や院内感染、また不登校やひきこもりの問題について、その問題 のなかで苦しむ人々を取材し記事にしていくと、理不尽な社会のあり方についてふつふつと怒りのようなものが 湧いてくる。 

これでもかこれでもかと取材し書いていくと、医師や製薬会社や厚生・文部行政等だけが悪者ではないと思えて くるようになり、そうした構成要素を産んでしまうこの社会そのもの、日本そのものに対して怒りというよりは ある種の諦めのようなものも抱き始める。


その怒りや諦めは誰にぶつけていいのかわからない。が、患者や看護師や不登校の子どもや延命医療の当事者や その家族の話を聞くに連れ、「これではいけない」と思う。


その素朴な思いが、たぶん「正義」だ。あるいは、コレクトネス、正当性の根拠だ。


だから我々は(編集長の松本くんのパワーはすごかった)、超貧乏でありながらも、また世の中がバブル経済で 浮かれまくっている雰囲気をかいくぐるようにして、全国を取材し(地方病院の空いている病室に一泊させても らったこともあった)、潜在化するマイノリティの声を聞いて回った。そして、書き、本にした。


自分たちでは十分注意したはずだけれども、結果としてあれらは「情熱的なポリティカルコレクトネス」になっ ていたのだと思う。マイノリティ擁護/代弁のために我々は熱く語り書いたが、不思議なことにその行為は、「何 か」をこぼれ落とす。社会制度の理不尽さを訴える我々の言葉は、同時にそれが正義であればあるほど、人間の 持つ複雑な魂のようなものをすべてカバーできない。


その「何か」は、笑いだったりズルさだったり嘘だったり秘密だったり諧謔だったり皮肉だったり、人間のもつ あらゆる面を含む。

それらはおそらく、「正義」としては表象しきれないもので、アートや文学としてのみ表象す ることができる。ピカソや G.マルケス岡本太郎ジョニ・ミッチェルパティ・スミスボブ・ディランやサ リンジャーの作品がもつ「愛と汚辱」(サリンジャー短編「エズミに捧ぐ」のサブタイトルです)のなかに、その 「何か」は大量に含まれる。


■「銭湯評論家」に


僕はやがて青少年支援者に転身し、さいろ社編集長の松本くんはさいろ社を地道に続けながらもいまや「銭湯評 論家」として有名だ。彼は銭湯本を 2 冊も書き(https://www.amazon.co.jp/レトロ銭湯へようこそ-関西版-松 本 - 康 治 /dp/4864031827/ref=pd_lpo_sbs_14_t_0/356-8241704- 8603620?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=BCYXCMAF4PDT92WGP509 レトロ銭湯へようこそ 関西 版)、ラジオ等のメディアにも度々出演して日本の失われた「サードプレイス」の代表格である銭湯文化の素晴らしさを笑いとともに発信し続けている。


最近では、町中の大衆食堂にも注目し、地味~なサイトに延々と全国の「激渋食堂」を紹介している (http://www.sairosha.com/mesi/taishu/index.htm 激渋食堂メモ )。


さいろ社時代、我々はなぜか自分たちの雑誌の中にお笑いコーナーをつくり、本編の特集以上に力を入れて記事 をつくった。それは、「病院ぐるめ(病院食堂食べ歩き)」や「究極のくつろぎタイム(多忙な看護婦/師のため にスペシャルな時間を提供する)」といったコーナーだったが、これがハードな特集に並んで人気があった。


今から思うと、病院食堂食べ歩きや看護師たちと毎月おもしろ体験する(たとえばアニメ好きの看護師と「ドラ ゴンボール」アテレコスタジオを見学し、野沢雅子さんたちと記念撮影したりした)のは、「正義」からこぼれ落 ちる何かをひたすら拾い集めていたのかもしれない。


正当性や正義は、真面目に伝えれば伝えるほど、余計なものを削ぎ落とし、それは科学や統計の名の下に人々の 感情を振り落とす。


正義の言論はだから、時々暴力的になる。


現在の若者たちが思想的には保守的になり、人によっては「ネトウヨ」化しているのは、若者たちがこうした「正 義が生む暴力」の気持ち悪さを無意識的に感じているからだと僕は解釈している。 正義は反論できない狭さとなり、その狭さは若者にとって窮屈で、若者とは、サリンジャーの作品で常に描かれ るように、正義から溢れる「愛と汚辱」のなかで生き、イノセントな部分をいくらか引きずる人々なのだ。


それら、愛と汚辱とイノセントには、正義は狭すぎて荒っぽすぎる。


■スッキリ


サードプレイス探しやぐるめ探索だけにとどまらず、たとえばマツコ等のクィア的お笑いや、Facebook 動画を 用いての DJ 的語り(僕のタイムラインで最近「ワイルドサイドを歩け DJ!」というのを始めた)や、表現以前 のプライベートな感情、たとえば亡きペットへの悼みなどは、すべて「正義以前」「正義の手前にある何ものか」 である。


あげだしたらきりがないこれらに常にこだわり続けることが、正義が暴力になってしまうことを防ぐ手法だと思 う。人々はまだこれらを無意識に展開している。
さいろ社をつくって 30 年、だいぶ時間がかかったが、50 代のテーマにたどり着けて、この頃の僕はスッキリ している。★