tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

「2ちゃんねる」が終わり、「革命」が始まっている

■「搾取」には説得力がない

 

Twitterだけではないが、ここのところ、既成リベラル/サヨク勢力による、SNSの炎上を利用した、「革命」運動が目立つようになってきた。

 

その趣旨は、以前当欄でも言及したように、19世紀以来の革命の原動力である「搾取」への対抗では説得力を持たなくなってしまった今、サヨク勢力が革命への起点とするのは、「差別」になったということだ。

 

それを僕は、下のように表現した。

 

 

皮肉なことに、革命が成就するためには、差別は解消されてはいけない。それは絶対的モチベーションの起点だからだ。

 

マルクスが科学的に解析した「搾取」が資本主義から理論的に生まれていたように、現代コミュニズムを続けるためには、「差別」も理論的科学的に存在し、永久に続く必要がある。

 

BLMの活動家はもちろん、日本のフェミニズム団体であるたとえばWAN(NPOウィメンズ アクション ネットワーク 上野千鶴子代表理事)の理事等もそれをよく知っているはずだ(黒人解放運動もフェミニズムも、60年代誕生時から大幅に変節した)。

「差別」は永久に続く必要がある〜21世紀の「革命」のために - tanakatosihide’s blog

 

もちろん、労働者はマルクスが分析した19世紀以来、変わらず「搾取」されている。

 

けれども21世紀の今、その理不尽な被搾構造は、なぜか労働者の団結には至らない。なぜか、「資本家」による搾取は労働者(非正規労働者は日本でも2,000万人もいるというのに!)の怒りを呼ばないのだ。

 

その代わり、過酷な非正規労働によって疲労する労働者の怒りにフィットするのが「差別」である。

 

アメリカでは「人種」、日本では「女性」がその具体例になる。

 

労働者という大雑把なマイノリティではなく、黒人や女性といった、被差別カテゴリーの代表格が、代表的両先進国の権力構造を覆す運動(革命)のシンボルとなっている。「搾取」は全く説得力を欠くコンセプトに成り下がってしまったのだ。

 

■虐待サバイバー、離婚時の子ども、DV被害を受ける夫たち

 

そこで利用されているのが、SNSである。

 

日本の某野党においては、2013年頃に「SNSを利用せよ」という指令が全党員30万人に飛ばされたという。

 

このネット時代の中で、先進的技術を利用して自らの「運動」を利用しているのはサヨク/リベラルだというのは注目される。

 

あの「2チャンネル」はとっくに40才前半ネトウヨたちのマニアックな媒体に成り下がってしまった。

 

今や社会を劇的に揺り動かす(それは「差別」言説などを利用して保守政治家や権力層を攻撃する)のは、SNSを「革命」運動の媒体と意識する既成サヨク/リベラルな人々だということだ。

 

こうして、SNSが「革命の技術」として利用されると、皮肉なことに、そうした革命主体たちが最も擁護したいであろう「真の当事者」たちが隠蔽・潜在化されていく。

 

真の当事者たちとは、

 

虐待サバイバー、

離婚時の子ども、

DV被害を受ける夫たち、

 

等々の、社会問題の構造の中で「サバルタン」化している人々のことだ。

 

■子どもたち他を新たな被差別者として規定している

 

SNS時代の革命主体たち(アメリカでは黒人、日本では女性)は、その潜在化されたマイナーのことを意識しているのかどうかはわからないか、自らの反差別運動に熱狂する。

 

その熱狂は、それぞれの革命主体たちの数百年に及ぶ怨恨のことを想像すると仕方がないのかもしれない。

 

19世紀から20世紀にかけて中心だった「搾取と労働者」というマイナーカテゴリーは古臭くなり、ついに自分たちの時代がやってきた。

 

その、被差別を起点にして社会変革/革命を求める熱狂は、皮肉なことに、20世紀後半から新たに出現した「完ぺきに潜在化するマイナー」、言い換えると「サバルタン」であるところの、子どもたち他を新たな被差別者として規定している。

 

 

ふたりは、こころの湖で手をつないで ③午前3時の、星と吊橋

翌朝、ヒカリと先輩は旅館の幽霊の手から無事逃れ、JRに乗り、上野、品川、横浜と来て、伊豆へと到達した。

チェックインは16:00頃、伊豆なのに夕食にはやはりトンカツが出てきて、けれどもふたりはそれを不思議に思わず淡々と食べた。

そのあと、それぞれ風呂に入り、それぞれの部屋でのんびりしたあと、先輩の部屋に集まった。

ヒカリも先輩も、その宿の近くに、2時間ドラマなどによく出てくる崖と橋があることはよく知っていた。けれども、ふたりは、その橋に行くかどうかはまだ決めていなかった。そしてふたりは、そんな崖と橋にはあまり興味はなかった。

テレビを流しながら、ふたりはぐずぐずしていた。このままでは、それぞれの部屋に戻って寝るしかなかった。ヒカリも先輩も、今夜はそれでもいいかと思っていた。

時間はすでに夜の9時を過ぎていて、テレビからは変な映画が流れてきた。

それは、地球からはるか遠い惑星にたどりついた宇宙船と船長の映画だった。

ヒカリには、その惑星の奇妙な映像が印象的だった。映画好きの先輩はその映画のことはよく知っていたけれども見るのは初めてだった。ふたりは同時に、

「変な星」

と言った。

モノクロではないのだが、シンプルな色がうごめくその惑星は木星のような鮮やかさはない。けれどもふたりには、星がしゃべっているように見えた。

その星の表面は、木星のような巨大なガスの帯でもなく、かといって月のようなガチガチしたものでもなく、あえていえば、木星の蠢きに月の表面の色が乗ったような感触だった。

ヒカリは、そのモノクロの蠢きを見ながら、

「星がしゃべっているみたい」

と繰り返し言った。先輩は、

「しゃべるというよりは、何かを僕にこの星は手渡したいようだ」

とつぶやいた。ヒカリはそれを聞いて、確かに星自身が私たちに何かを渡そうとしているみたいと感じた。

「星には手はないのに」とヒカリは漏らし、「何を私たちに渡そうとしてるんだろ」と続けた。

 **

その映画を見たあと、自然とふたりは旅館の近くの吊橋を見に行こうということになった。

ゆかたを着替え、ふたりは静かに玄関で靴をはき、旅館の外に出た。

今夜も大きい月がふたりを照らした。月の光は暗いようで明るく、吊橋に向かう小道をスポットで照らしているようだった。

途中、松の木の影が何本もふたりを覆った。松の木は不気味で、それら低い松たちもふたりに語りかけているようにヒカリは感じた。

そのように先輩に言ってみると、

「松はどちらかという無口なんだよ」と真面目に答えた。

それを聞いて、松を不気味に感じて申し訳ないとヒカリは思った。そう、無口な植物もたくさんいるのだ。

そこは地図には「海岸」と表記されていたが、実際に行ってみると、絶壁の崖だった。

確かに、2時間ドラマで何度も見た光景ではあったが、足元から届く恐ろしい波音は、ふたりを縮み上がらせた。

ヒカリは先輩の手を握り、先輩も強く握り返した。

はるか下の足元は湖ではなく岸壁と海だったので、絶えず大きな波の音がふたりを襲った。

そこは観光地なので、そうした足元の波しぶきを、何本ものスポットライトが照らした。

強くお互いの手を握ったふたりは、そのライトに照らし出された波を観察し続けた。吊橋は常時揺れたが怖くはなかった。それよりも、さっき旅館で見た遠い星の表面に足元の海は似ているとふたりは思った。

「あの海に」とヒカリは言った。「私たちの考えは読まれているのかしら」

「読まれそうだ」と先輩は返した。「読まれるというか、吸収されそう」

おそらく午前3時前だというのに、波音はふたりの身体をさらっていくほど低く荒かった。そこにライトが照らされ、昼間であれば白く見えるはずの波が何かを語っているようだった。

その時先輩は、

「聞こえた?」

とつぶやいた。

「はい」とヒカリは答えた。

ふたりには、はるか下の足元の波が何かを語りかけたように感じたのだった。

「波がしゃべるというよりは、何かを僕らに手渡したいんだろうか」と先輩。

ヒカリは、さっき旅館で見た惑星の映画を思い出した。

惑星は、いつもわたしたちに何かをしゃべりかけ、何かを手渡そうとしている。それはいったいなんなんだろう。

 **

ヒカリは声に出していないはずだった。けれども先輩はこんなことを言った。

「星が僕らに手渡したいモノはわからないけど」先輩は静かにつづけた。

「君と出会えてよかったよ」

その言葉を聞いて、ヒカリはなぜか一瞬にして80才のおばあちゃんになっていた。

80才のヒカリは、自分が18才の頃、センパイと呼ぶ男と伊豆の午前3時の海岸で語りあったことを思い出していたのだった。

「わたしがおばあちゃんになった時も」とヒカリは言った。明確な自分の80才のイメージが彼女にはあった。「いまの先輩のその言葉を覚えているかもしれない」

そのあと、先輩は、吊橋の上で、ヒカリを抱きしめた。

その時、足元の波と、その波を抱合する海と惑星は再び何かをふたりに語りかけたようだった。

「波はしゃべっているようだけれどもその意味がわからない」と先輩は小さく漏らした。彼は、ヒカリが自分の腕の中に収まっていることに満足していた。その満足感は、生まれてきて初めて感じるものだた。

ヒカリは、足元の波音を聞きながらこう答えた。

「星冥利に尽きる、らしいですよ」

先輩はヒカリを離し、スポットライトの中で彼女を見た。そして、

「星冥利ってなんだろう?」と笑った。

当然、ヒカリも笑い、真夜中の岸壁をあとにした。

ふたりは、こころの湖で手をつないで(新作中編②) ②たぶん、あれは幽霊の手

翌朝、ふたりは早く出発したが、昼間、ふたりとも一度は見ておきたかった古い神社に寄ってしまった。

その神社は広く、途中、たくさんの鹿がいる場所もあった。ヒカリはその鹿たちを見てびっくりしてしまい、先輩の腕をとっさにつかんでしまった。

先輩はヒカリの仕草にびっくりしてしまい、笑いながらも飛び上がった。

「鹿って」とヒカリは飛び上がる先輩を笑いながら見て、言った。「すごく大きいんですね」

「目も大きいな」先輩はヒカリの手を握っていった。

ふたりは、身体と目が大きいオスの鹿が、そうした部位の大きさのわりに声が小さいことについて語り合った。

ヒカリがアルバイトしていたホテルのある駅から、その鹿の神社に来るまで、JR普通で3時間もかかった。広大な神社をゆっくり歩くと、時間はもう午後2時だった。

ふたりは、計画ではもう少し先に進む予定だったが、それ以上JRに乗ってもその先の宿の見通しをたてることはできなかった。

ふたりは話し合い、その神社の近くの、駅前の古い旅館にその夜は泊まることにした。

受付で記帳し、12畳ほどの部屋に通された二人は、それまで同じ部屋で泊まったことがないことに思いあたった。

そこで先輩が、旅館のオーナーに別々の部屋にしてほしいと頼んだ。

オーナーは淡々と「かしこまりました」と言い、ヒカリを隣の部屋に案内した。

それぞれ入浴したあと、少し広い先輩の12畳の部屋で二人は夕食をとった。

ふたりはまだ若く、夕食に既成のトンカツが出てきてもそんなものだろうと思い、淡々と食べた。それよりも、小さめの浴衣からはみ出る自分の足を先輩もヒカリも気にしていた。

そういえば、ふたりが過ごす夜をそれまでイメージしたことがなかった。

そう思うと、先輩は急に緊張し始めた。だが彼は、自分からなにができるわけでもなかった。風呂に入り夕食をとり、いつもの雑談をしたあと、ヒカリは自分の部屋に帰っていった。

先輩は、そんなものだろうと思った。ヒカリも、先輩の部屋でスリッパを履き、隣室に戻る途中、そんなものだろうと思った。

ふたりは、同じ場所で夜を過ごすイメージをそれまで持ったことがなかった。

それから3時間ほどたち、0時を過ぎた頃、先輩の部屋のドアをノックするヒカリの姿があった。

先輩はびっくりしたが、そんなこともあるかもしれないと予測もしていた。彼はヒカリに「どうしたの?」と聞いた。

「足を引きずられるんです」その時のヒカリの表情は、おそらく文字通り青ざめていた。「すごく強い力で、布団の外から手が入ってきて」

眠りに落ちる直前のヒカリの足を、強大な力がどこかにひきずりこむという。それは金縛りとも異なり、ヒカリは懸命に自分の頭が乗る枕にしがみついていたそうだ。

ヒカリは泣きはしなかったが、「もうあの布団では寝ることができません」と先輩に言った。

先輩は、ヒカリがその布団に戻ることは恐ろしいことだと直感した。ヒカリがいうような強く暴力的な力を先輩はイメージできなかったものの、その強い力は相互的ではなかった。

その暴力的な力は、一方的だった。

「そう、その手は語ろうとしないんです」ヒカリは徐々に自分の目に涙が浮かんでくることを自覚した。

「わたしは、一方的な力はこわいの」

そう言ってヒカリは先輩の胸の中に飛び込んできた。

先輩はそれまで、人を抱きしめたことはなかったが、その時は意識せずともヒカリを抱きしめてしまった。

だが、先輩の部屋にヒカリが寝る布団はなかった。かといって、隣のヒカリの部屋に戻ってその布団を取ってくることはできなかった。

再びあの強い力でヒカリが引っ張られた時、こちら側に彼女は帰ってくる自信はなかったし、先輩も、その強い力に抵抗することはとてもできなかった。

だから先輩はこう言ってしまった。

「僕の布団で寝なよ、ヒカリ」

先輩がヒカリを名前で呼んだのは、この時が初めてだった。「僕は、座布団の上に寝るから」

先輩は笑っていたけれども、自分を部屋に押し返すことはしなかった。恋人ではないこと、他者を受け入れきれないこと、自分の布団は自分だけのものであること。

ヒカリであればさまざまな理由を思いつくことができたが、先輩はこの部屋にとどまれ、俺の部屋にいろ、と言ってくれた。

たぶん、あれは幽霊の手なんだろうとヒカリは思った。古い古い神社が近所にあり、大きな鹿がいるそこには、たぶん幽霊もいる。古い古い歴史のなかのある存在に、わたしはさっき足を引っ張られた。それは強大なちからだった。

そんなことをヒカリは先輩に言ってみた。すると先輩は、

「僕は、一生懸命身体を縮めていたよ」

と言った。どうやら、先輩も幽霊に足を引っ張られそうな怖さにとらわれ、思わず身体を縮めて布団の中で寝ていたそうだ。

身体の大きな先輩が、布団の中で丸くなっている姿を想像して、ヒカリは笑ってしまった。そして、

「先輩も幽霊が怖かったんだ」

と言った。

そう言われてみて初めて、青ざめた表情で自分の部屋に入ってきたヒカリを見てなぜ自分がほっとした気持ちになったのかに先輩は思い至った。

そう、先輩も、ヒカリが幽霊に足を引っ張られていた時、自分も引きずり込まれそうになっていたのだった。

「僕も」

「わたしも」

とふたりは言った。

「幽霊は力持ち」

そう言ってふたりは笑い、暗い暗い、幽霊がいる部屋で初めて、ひととき抱擁し合った。

 

 

ふたりは、こころの湖で手をつないで (新作中編小説の1)

 

1.月の湖

ヒカリが大学1年生の夏休みに東北の海沿いのホテルで1ヶ月のアルバイトを終えたあと、そのホテルに先輩が迎えにやってきた。

先輩とヒカリはまだつきあってはいなかったが、先輩は「迎えに行く」と言い、ヒカリもそれが当たり前だと思った。

ヒカリのバイト先は古いホテルだったが、東京からの客で常に満員だった。先輩が来た日はたまたま1室キャンセルがあり、先輩はその部屋に宿泊することができた。

食堂で夕食を終え、ヒカリも洗いものの仕事が終わった時、アルバイトのチーフがヒカリに気をつかって彼女に少し時間を与えた。

時間ができたことを、ヒカリは夕食を終えた先輩に伝えた。そして、

「海岸に行ってみよう、先輩」

と誘った。先輩は笑顔を浮かべ、細かい時間と場所を打ち合わせた。

ヒカリがエプロンをとり、夜の海岸に降りてみると、先輩はすでに波打ち際にいた。

その渚で、先輩は遠く暗い水平線を探しているようだった。

「今日は、月が出たり出なかったりですね」ヒカリは先輩の背中に語りかけた。

先輩はヒカリが砂浜に降りてきたのを察しているようだったがこちらを振り向かず、水平線らしきものを探しながら声だけでこう答えた。

「月は時々ものすごく大きくなるもんね」

それはヒカリも気づいていた。ムーンの前にいろいろな形容詞をくっつける大きな月たちの呼び名には彼女は関心はなく、時々、びっくりするくらい大きくなり、その中に鮮やかな月の湖のような輪郭をもった灰色のような影が彼女を捉えた。

そのことを先輩に言ってみると、彼も「僕も同じ」と言って笑った。「あ、雲から月が出てきたよ」

ふたりでその月を黙って眺めてみた。鮮やかで大きなその衛星は、時々暴力的にも感じられる大きさで、地球の人々を見おろしていた。その光は決して明るいとは言えないのだが、人口的な蛍光灯よりもはるかに強い光線で地上のモノたちの輪郭を区切っていた。

暗いのに強いその光の光源には、灰色の湖が浮かんでいた。その湖は、ウサギのお腹にも見え、それを、読書する女のスカートのひだと読み取る人々もいた。

一般には、そこは雲の海とも呼ばれていたが、ヒカリにはそれは海とは思えず、やはり湖のように感じられた。

そのように先輩に言ってみた。先輩は、

「海よりは湖だなあ」とつぶやき、横に並んでいたヒカリの手を握った。

ヒカリと先輩は、そうやって時折手をつないだ。その瞬間、いつもヒカリの気持ちは満たされた。

そのような気持ちを、ある日、ヒカリは母のカナタに伝えてみた。母は、

「わかるよ」と言って微笑んだ。どうやら母のカナタも同じような体験をしてきたようだった。

月光を浴び、月を見ながら先輩は、月の湖の話をした。

「あの湖に」と先輩は高い声でつぶやいた。「水があるわけはないんだけど、水がもしもあったとしたら僕らはどうしよう?」

ヒカリはその言葉を聞いて目を瞑り、月の女のスカートの湖に水が満たされる映像を想像してみた。

その映像は不思議な絵で、月の湖のそばにヒカリが立っていた。

そして彼女は、地球の光を浴びている絵の中の一人物だった。

「先輩」とヒカリは言った。「月の湖には、地球からの青く強い光が射してるみたいです」

先輩はヒカリのその言葉には何も答えず、強く右手を握って返した。ヒカリも自分の左手に力を込めた。

すると、ふたりは不思議なことに、月の女のスカートの湖の渚に立っている感じがヒカリにはした。地球からの青くて強い光をふたりは浴びつつ、自分の主語をその時忘れてしまったのだった。

地球からの青くて強い光により、月の湖の渚に立つヒカリと先輩は、自分たちの主語を忘れてしまった。

ふたりは目を開けて手を離し、背後の古いホテルへと帰っていった。アルバイトを今日で終えたヒカリは、迎えにきた先輩とともに、明日から京都を目指す予定だった。

V. (短編小説⑤)

ついに夫との間で子どもをつくろうという話になった時、カナタは夫にパリへ一人旅に行かせてほしいと頼んだ。

 

カナタは30才で、パリに住む先輩には未練はないはずだった。だから2年前に夫と結婚したし、夫が自分を大切にしてくれることには感謝していた。

 

けれども、自分でも理由がわからないまま「パリに3日だけ行かせてほしい」とカナタは夫に言ってみた。

 

夫は詮索しない人なので、無条件に「いいよ」と言ってくれた。旅行資金も、2人でこつこつためた貯金からつかったらいいと言った。カナタは礼を述べた。

 

パリに行くのはこれが2回目だった。初回は、大学2回生の夏、ひとりでパリを訪れた。行きの飛行機で、ドゴール空港に着地直前のタイミングで、隣に座っていた10代の男の子が嘔吐してしまい、介護するのがたいへんだったことをよく覚えていた。

 

旅そのものは、パリの主要な観光地を一人で数日回っただけの、観光旅行だった。憧れのパリはカナタにとってはそこらじゅうに犬の糞が落ちており、それが道路の端を流れる濁った水に流されていく、奇妙な街だった。

 

今回、ドゴール空港に飛行機が着地した時、隣の老婦人は戻すことはなかった。カナタも、窓から真下のシベリアを睨み続けることなく、いつのまにか時間が過ぎ着地していた。空港には先輩が迎えに来てくれていた。

 

「時間通りだな」先輩はまた背が高くなったような気がした。そして、大学の時につきあっていた頃と変わらないまま、カナタの前を歩き、振り向きながら話しかけてきた。「前は、パリのどこに行ったんだったけ?」

 

先輩とは知り合いであったもののまだ付き合う前の頃で、そういえば詳しく話していなかった。カナタは、ルーブル美術館ノートルダム寺院など、訪れた有名観光地を伝えた。

 

「それじゃあ、だいたい回ってるんだね」先輩は笑いながら答えた。「たった2日しかいないんだったら、じゃあどこに行こう?」

 

そう聞かれたので、カナタは軽い感じで答えてみた。メールでもまだ伝えていないことだった。

 

「先輩の家は?」

 

 ***

 

意外なことに、先輩は快諾した。ポルトガル人の妻との間に、3才の女の子が1人おり、2人目を妻は妊娠しているということだった。

 

迷惑ではないのか、カナタは執拗に聞いてみた。

 

「いや、パリでの外食は高いし、今晩は僕の家で食べようとVとも話していたんだよ」

 

Vというのは、先輩の妻の名のイニシャルで、本名はヴァンダだという。

 

「ヴァンダでもいいんだけど」と先輩は恥ずかしそうに言った。「ブイのほうが心地良いってVが言うんだよ。それで慣れてしまって」

 

空港からパリに延びる電車は1時間程度時間がかかり、客の多くは無言で電車に座っているため、カナタも先輩も会話がしづらく、それっきりで黙ってしまった。

 

カナタは電車を降りるまで、Vについて考えていた。謎めいたその語感が、ブイを、アフリカの小国に潜入したポルトガル人スパイのようにカナタの想像のなかで設定し始めた。

 

ブイは絶対笑わない人。そんなふうに勝手にヴァンダ像をカナタはつくりあげた。

 

 ***

 

本物のVは、となりのトトロのサツキみたいな女性だった。年齢も20才を過ぎたばかりで、カナタよりだいぶ若かった。

 

第一次大戦中のポルトガルの謎のスパイではまったくなく、まっくろくろすけを妹とともに探してからかう、快活だけれども線の細そうな、一昔前の日本の女の子のようだった。

 

見た目の印象をそのまま言うのをカナタはためらったので、先輩に対してだけ日本語で、「お若い奥さんね」と囁いてみた。

 

「にじゅうにさい、なんです、ハイ」とVは笑いながら答え、カナタに握手を求めていた。そして、夫の古い友人であるカナタを「かんげいします」と続けた。

 

先輩とVは、やがて生まれてくる第二子のためにも広めのアパートを借りており、部屋が一つ余っているらしいので、今晩と明日、つまりカナタがパリにいる間はそこに泊まればいい、と言ってくれた。カナタは一瞬戸惑ったものの、空港から今まで何時間か先輩と一緒に移動したことで、なんとなく踏ん切りのようなものが本当に心に現れたと実感したため、部屋提供の申し出を受け入れることにした。

 

先輩もVも、カナタが「ウィ」と言ってくれたことを喜び、Vは夕食の準備に取り掛かった。

 

 ***

 

なにか軽い気分になり、カナタはその夕食時に、ヴァンダに向かって、10年くらい前に先輩とつきあっていたことを打ち明けてしまった。

 

「はい、しっています」とVは笑いながら答えた。「かれはまだCのことがすきかもしれません」

 

Cとはどうやらカナタの愛称らしかった。KではなくCなのが、カナタにはなんとなく心地よかった。そこで、

 

「実はわたしもまだセンパイを好きなのかも」と、先輩の妻の前で普通は言ってはいけないことを言ってしまった。

 

「はい、それはCをみればわかります」Vは、カナタのグラスにワインを注ぎながら言った。3才の娘は座ってムースを食べていた。

 

「わたしも、Cとおなじように、いまもすきなひとがいます」と言ってヴァンダはははは、と笑った。

 

先輩は一連のやりとりをニコニコ笑って聞いていた。どうやら、Vの過去のことを先輩はよく知っているようだった。Vとの会話の中で、先輩は私のことを話しているんだろうとカナタは想像した。

 

「わたしはそのすきだったひとと、あのエッフェル塔にいきました」Vは窓を指差し、そこから見えるキラキラ光るエッフェル塔を指差した。「それは、ザンコクなおもいで、でした」

 

 ***

 

先輩が言うには、ヴァンダの元恋人は同じポルトガル人で、数年つきあったらしいが、別に恋人をつくって結婚したという。パリに仕事でやってきたその元恋人に誘われてヴァンダはエッフェル塔のエレベーターで観覧階まで行き、その時に本当に彼と別れたことを実感したそうだ。

 

その数ヶ月後にヴァンダが出会ったのが先輩だった。

 

翌日、カナタはルーブルに行きオルセーに行くと、すぐに夕方になっていた。パリは薄暗くなっていたので、先輩のアパルトマンに戻る途中でエッフェル塔に登ってみた。中国人が40人くらいひしめく大エレベーターに乗り、観覧階からパリの街を見下ろした。5階建てのアパルトマンが整然と並ぶその光景が、カナタには日本に帰れと語っているように思えた。

 

夕食もヴァンダの手作りのものを食べ、少しワインを飲み、先輩は子どもを寝かしつけに早めに寝室に入った。結局、先輩とは深い話にたどり着けないまま、その旅は終わろうとしていた。

 

皿を洗ったヴァンダは、カナタのそばにワイングラスをもってきて座った。部屋の照明は薄暗く、誰の演奏かわからないジャズが小さい音で流れていた。

 

「ねえ、C、しんけいすいじゃくをしましょう」ヴァンダはトランプを持っており、日本語で神経衰弱と呼ばれるトランプゲームに誘った。

 

断る理由もないためカナタはヴァンダがカードを配るにまかせていた。

 

そして2人は、そのトランプゲームを始めた。

 

カナタはなげやりだったが、ヴァンダは真剣にゲームに取り組んだ。「シンケンスイジャクといってもいいらしい」とヴァンダはカナタに言った。

 

ヴァンダが取ったカードのほうがだいぶ多く、その真剣さもカナタよりだいぶ上回っている。

やがてヴァンダは、ジョーカーのカードをひっくり返した。

 

「あ、ババはいちまいしかない」とヴァンダは言った。「しっぱいした」

 

ジョーカーをあらかじめ抜いておくことを忘れたことに気づいたヴァンダは大げさに後悔し、「しっぱいした」と繰り返した。

 

「大丈夫だよ、ヴァンダ」カナタはゆっくりとしゃべり、そのジョーカーをヴァンダの手から抜いて2人の間に置いた。

 

「目を瞑って」とカナタは言った。

 

ジョーカーのカードをテーブルに置き、その上にカナタは目を閉じたヴァンダの手を置いた。ヴァンダの手の上に、カナタは自分の手を重ね合わせた。

 

そしてそのままカナタは黙り込んだ。ヴァンダも、何も返事しないまま、黙って手を重ね合わせていた。

 

そのまま3分もたっただろうか、ヴァンダが、

 

「いま何か聞こえたね?」と言った。

 

「うん、聞こえた」とカナタ。

 

「あれはなんだろう?」ヴァンダは目を瞑ったまま、手を重ね合わせたまま言う。「エッフェル塔からではないな」

 

「あれは、いびき?」カナタは聞いてみた。

 

すると、ヴァンダは目を瞑ったまま、笑い始めた。「あ、レナのいびき!」

 

その音は、隣室で寝る先輩の鼾ではなく、3才の娘のレナのものだという。

 

「子どもなのに」とヴァンダ。

 

「子どもだけど、立派ないびきね」とカナタ。

 

そして2人は同時に目を開けて、大笑いしてしまった。その笑いは3分も続く、長い長い笑いだった。ヴァンダは窓の外でキラキラ光るエッフェル塔を脳内から追い出し、カナタは再び飛行機で離陸しおそらく生涯やってこないであろうパリから去るための笑いだった。笑ったあと、2人は抱き合い、握手した。

幽霊とダンスできるか?

 

 ■オリエンタリズムとしての「釜ヶ崎

 

最近話題になった、若手ライターによる、大阪西成区釜ヶ崎」への「潜入モノ」記事は、吐き気さえ覚えるほどのひどい差別記事だった。

 

本当に僕は吐き気がしたので、実は全部読んでいないし、読む価値もないと思った。

 

最近の僕は、あと数年で60才を迎えることも併せてすっかり好々爺化しているのだが、その記事にだけは我慢ができなかった。

 

だから詳しく解説できるほどその記事を知らないのだが(こちらの精神衛生上悪いから一生読むことはないだろう)、ざっと目を通しただけでわかることは、それがE.サイードのいう「オリエンタリズム」に満ち満ちていることだ。

 

僕的にはあまりやらないのだが、オリエンタリズムの説明については、以下のウィキペディアの説明が的を射ているので引用してみよう。

 

 

イードによればオリエンタリズムの根底には、オリエント(東方)とオクシデント(西方)との間に「本質」的な違いが存在するのではないか、という漠然とした見方がある。そうした曖昧な概念が、一定のイメージ図式等によって表現され続けるうちに、あたかもそれが「真実」であるかのように思い込まれ、それが長い間に人間の心理に深く浸透し強化されて、オリエントへの特定の見方や考え方が形成され、次第に独り歩きを始めるに至った。その結果、オリエンタリズムから自由に現実を見ることはできなくなるオリエンタリズム

 

 

西洋から見て、実際の東洋のあり方とは別に「イメージ」としてオリエンタリズムが形成される。それは、芸術作品として語られることも多いが、そこにはイメージの中に、西洋とは別の「『本質』的な違い」が含まれる。ウィキさんは「違い」としか述べていないが、この「違い」には差別的意味合いが多く含まれている。

 

冒頭で示した、「釜ヶ崎」への潜入モノ記事は、その発想自体が上から目線というかオリエンタリズムであり、それは「違い」を述べているようでいて、何か異質のものを自分の凝り固まった価値観から切り取っている。

 

その切り取り方にはある種の小狡さがあり、言葉としては決して釜ヶ崎の男性をあからさまには差別しない。

 

あくまでも「違い」として、その差異を語るが、その「違い」の中に明白な断絶感と、怖いもの見たさと、「観察者」である自分はあくまでも外側に立ち、絶対的な外側からその存在(釜ヶ崎の男性)を描写する。

 

その観察の仕方はあくまで第三者的であり、G.C.スピヴァクが『サバルタンは語ることができるか』冒頭で批判した、フーコードゥルーズが立つ客観的観察者の位置付けそのものでもある。

 

■「百年の街」

 

その記事で取り上げた大阪の街は、おそらくミドルクラス出身であろうライターさんが数日歩いて出会った体験などではとても語れるものではない。

 

実は同種の記事はネットには散見され、それらの多くは、大阪の西成や釜ヶ崎をまるで火星に訪れたかのように若手ライターたちが驚きつつ描写する。

 

それらはすべてオリエンタリズムであり、おいしい「観察者」の位置から手っ取り早く目の前の風景を切り取ったものだ。

 

当たり前だが、そうした街々は、数日〜数ヶ月いた程度で書ききれるものではない。その街に住みその街を離れた人間たちが100年以上の年月で築いた街の気配と空気と匂いは、「訪ねる」だけでは決して描き切ることはできない性質のものだ。

 

自分が「訪問者」であり「観察者」としてそこで過ごす間は、街自体に入り込むことができない。物理的にはそこで時間を過ごすことはできるだろうが、街の匂いが自分の肌には決して染み込むことはない。

 

それは、G.G.マルケスが『百年の孤独』でマコンドという街を描いたように、作家生命を賭けて描き切る覚悟と気迫のようなものが必要になってくる。

 

あるいはマルケスが幼い頃祖母から聞いたそのマコンドの街そのものが、祖母の声と佇まいを通してマルケスの魂を柊生包み縛り呪ったように、百年の記憶の呪いのようなものと死ぬまで語り合う覚悟が必要になってくる。

 

あるいは、マコンドに日常的に出没する幽霊とダンスをするポジティブさを持つことも求められる。

 

こう書いてくると、僕が冒頭のブログライターたちに吐き気がするのは、自分の魂をその街に捧げその街の幽霊たちとダンスする気概を感じられないからだ、と気づいた。

 

たとえば、僕の友人の、NPO釜ヶ崎支援機構の松本事務局長やNPOココルームの上田代表には、そうした気概と迫力と覚悟を感じる。そして、釜ヶ崎でダンスを楽しむ、ポジティヴィティも感じる。

 

僕はいまだに、支援機構の松本事務局長が、釜ヶ崎の街の中で、人々に笑いながら話しかけ、からかわれ、からかい、一緒に食事をしたり、一緒に怒ったりしていた風景が忘れられない。

 

そして、そのやさしい言葉遣いと、いつも浮かべる笑顔と、その低くてどこにも逃げていかない声が忘れられない。

 

その佇まいには、僕も癒されてしまう。

 

それらの街は、お金持ちの若者が短期間いて描ける薄い密度では決してない。

 

松本さんや上田さんに宿命のように張り付いた街と向き合う覚悟を、街自体が歓待Hospitalitéしている。そして、その覚悟と歓待に街に住む人々が巻き込まれ、さらに大きなうねりみたいなものが生じている。

 

そうなると、誰が当事者で誰が観察者で誰が支援者で誰が研究者なのかもはやわからない。フーコードゥルーズや若手ライターたち的観察者・傍観者は、その街の中には居場所がない。

 

街が観察されることを拒み、街とともにダンスすることを要求している。

 

そうやって、覚悟をもって飛び込み住み着いた人々を優しく包むのが、「百年の街」たちなんだと僕は思うのだ。

 

「差別」は永久に続く必要がある〜21世紀の「革命」のために

 

■ 「プロレタリア搾取」ではなく「既成マイノリティ差別」

2010年代より、新しいコミュニズム共産主義運動が始まっている。ただしそれは、19〜20世紀の「プロレタリア搾取」ではなく「既成マイノリティ差別」を起点とする。

 

「人種」と「女性」がその代表で、前者の具体例はBlack Lives Matter「BLM」、後者は21世紀型フェミニズム(あるいは「昭和フェミニズム」)。

 

それらは「革命」のためのインセンティブであり続けるために、永久に続き且つアンタッチャブルである必要がある。

 

■「対話」ではなく「差別」の強調

 

つまり、既成マイノリティは永久に弱者でなければならない。

 

皮肉なことに、革命が成就するためには、差別は解消されてはいけない。それは絶対的モチベーションの起点だからだ。

 

マルクスが科学的に解析した「搾取」が資本主義から理論的に生まれていたように、現代コミュニズムを続けるためには、「差別」も理論的科学的に存在し、永久に続く必要がある。

 

BLMの活動家はもちろん、日本のフェミニズム団体であるたとえばWAN(NPOウィメンズ アクション ネットワーク 上野千鶴子代表理事)の理事等もそれをよく知っているはずだ(黒人解放運動もフェミニズムも、60年代誕生時から大幅に変節した)。

 

だからそうした活動家は反対派と「対話」せず、絶対的弱者としての自らの位置を誇示し、差別(科学的に析出された「搾取」と同じようにそれは振る舞う)を延々と強調する。

 

■「革命」成就のために利用されている

 

ややこしいのは、差別は事実として存在しそれは解消される必要がある点だ。

 

これには息の長い反差別運動が必要で、見方を変えると、新世紀コミュニズム活動家により、息の長い反差別運動が「21世紀型搾取」として都合よく利用されているということになる。

 

言い換えると、現場の反差別運動家たちは、「21世紀の搾取」として、自分たちが受ける差別が「革命」成就のために都合よく利用されていることに気づく必要もある。