tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

なぜ「虚偽DV」を信じることができないのか——「DVにウソはない」という社会規範

ホンモノのDVの怖さは、毎回の打撲や流血、あるいは激しい怒鳴り声やカネの奪取という瞬間的暴力よりも、

 

「このオトコ/オンナ(30代夫婦のDV加害者は妻のほうが多い)に一生つきまとわれるかもしれない」

 

という心理構造の背景にある関係性のようだ。

 

その関係性は多くは「共依存」と呼ばれ、激しい暴力や怒鳴り声の数時間後や翌朝に現れる加害者の「謝罪」現象で判断することができる。

 

もう2度としない、ごめんなさい、と涙を流し謝罪する加害者を見て、被害者の妻や夫は、

 

「今回は許してあげよう」

 

と思ってしまうようだ。そして、

 

「わたしが殴られるからこの人は外で事件を起こさない、この人を守っているのはわたしなのだ」

 

という、独特の心理構造に陥る。

 

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こうしたホンモノのDVの背景にはアルコールやギャンブルといったアディクション(依存)の問題もあり、そうした「アディクション〜DV/暴力〜共依存」のリンクが、密室的で閉鎖的なカップルたち(つまりは現代的夫婦関係)をギリギリの場所に追い詰めていく。

 

このギリギリのドメスティックな関係性には、前回当欄で書いたような「加害者と被害者の彼岸」のような微妙な領域での暴力的コミュニケーションも日常的に発動している。

 

その暴力的コミュニケーションは、心理学的には上に書いたような共依存と呼んでもいいだろう。だが実際は、一方的に物理的暴力の被害に遭いながらも、精神的関係においては加害者を支配することも珍しくない。

 

「わたしがこの人に殴られているから、この人は外で犯罪をしない」

 

という思考法はその典型例で、殴られながらその人は常に「上」にいる。

 

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こうした歪んだ暴力性に対し、旧来の「昭和/私怨フェミニズム」は、加害者を男性と断定し(繰り返すが30代夫婦は加害者は妻が多い)、そのナイーブな暴力構造には決して言及しない。

 

言及せず、DV相談=DV現象と断定し、「被害者の女性」を救う形式を採用する。

 

現実には、たとえばこの記事(夫が語るリアルDV被害「お前が追い込んだ! 一生後悔しろ!」と殴り書きの遺書 | 週刊女性PRIME)で取り上げられるような、加害者はアルコール依存の妻であるが、たまたま夫が反抗したその場面を切り取って、DV加害者=夫のような昭和/私怨フェミニズムにはわかりやすい構図に被害者を引き摺り込む。

 

けれども、「DV加害者は男性」だという紋切り価値に導かれ、実際にDVがある時でも、そのDV現象の複雑さは省みられず、私怨/昭和フェミニズムが提唱する「夫/オトコ=加害者」という構図に引き摺り込む。

 

その引き摺り込みを、司法(裁判所や弁護士)や警察や行政は深く分析せず信じてしまう。

 

ここには、私怨/昭和フェミニズムが常に言及する男社会の旧弊さという理論に、その男社会の中で出世してきた弁護士・裁判官・警察官・行政パーソンが反論できないという構図も潜む。

 

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「虚偽DV」とそれに伴う「子どもの拉致」は、毎年20万組が離婚する日本社会では大きな社会問題になっている。これはEU社会にも被害を与え、今年2020年にはEU議会で批難決議される事態にもなった。

 

だがその虚偽DV(DVのでっち上げ)を理由に離婚に持ち込み、世界で超少数派の単独親権システム下で子どもと「別居親」が会えなくなるという日本社会での人権侵害(子と別居親いずれに対しても)は、毎日、数十〜数百件起こっていると言われる。

 

その悲劇を再発させないために虚偽DVの事実を被害者は懸命に伝える。

 

けれども、その虚偽DVは法曹・メディア・支援者・アカデミズム等、「関係者」にはあまり伝わらない。

 

虚偽DVは、そのひどい実態を被害者(別居親)が訴えたとしても、司法・メディア・支援者・アカデミズム等の関係者にはあまりつ伝わらないのだ。

 

それどころか、DVを実はしているんじゃないかという疑いの目で見られてしまうということも事実だ。

 

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それは、上に書いたような、

 

共依存を中心とした現実のDVのエグさ

 

②そのエグさが、私怨/昭和フェミニズムによって「オトコ=加害者」という紋切り的図式にあてはめられる

 

③いったんこの構造に現実の暴力が「縮減」された時、司法・メディア・支援者・アカデミズム等は反論できなくなってしまう。それだけ、私怨/昭和フェミニズムの言論の力は強く、同時に、①の事実から炙り出されるエグさ(それは主として「オンナが殴られる」という紋切り的場面で描かれる)とインパクトにより、それらDVとして訴えられる現象の多くに「虚偽」が混じっている事実を思考することをためらわさせる

 

④その「(虚偽DVを思考できない)ためらい」は、まさにDV業界が産んだ「規範」である

 

等の絡み合いから導き出された傾向だ。

 

つまり、私怨/昭和フェミニズムが単純に縮減したDV構図の中から「虚偽DV」は弾き出され、司法や支援といった関係者はDV紋切り思考に捉えられてしまう。そうした積み重ねの結果、

 

「DVにウソはない」

 

という社会規範が形成されたということだ。