「人を喪うこと」はPTSD の代表的原因の一つだと言われる(他に、戦争、自然災害、個人的暴力、交通事故等)。
児童虐待や性暴力等の反復される被害(複雑性PTSD )の深刻さとそのケアと回復が、実は日本社会の大きな課題なのだが、もう一つ、どうしても避けることのできないトラウマとしては、この個人的「裳」の時間がある。
突然逝ってしまった二度と戻らない大切な人が時々蘇る。人によってはそれがフラッシュバックとなり、鬱症状を発生させる。
そのプチPTSD 的状態から抜け出すのは、最新精神医学も良いのだけど、僕としては、その現れてきたゴーストと常に語らい続けることだと思っている。
ゴーストは裏切らない。それどころかまさに最も身近な他者として、生きている我々に語りかける。それはこの引用ツイートのように「足を組んで」親しげに語りかけるスタイルかもしれない。それは死者でありながら文字通りゴーストであり幽霊であり魂で、言い換えると、常にそばにいてくれる他者だ。
また、自分もやがては誰かのゴーストになる。誰かにとっての「身近な他者のチーム」に組み入れられる存在でもある。
このような、デリダ的であり攻殻機動隊的であり、言語(象徴界)以前の物自体(現実界)的なゴーストと、我々は常に行動を共にし、励まされている。その励ましが時に、我々をポジティブな行動に導いてくれる時がある。こういう心境が、僕の支援者としてのコアです😀