社会からの「ヘテロ(異性愛)圧力」のようなものも広義の性的暴力かもしれないが、こうした広義の性的押し付けがなければ、一方で種を維持できないというアポリアがホモサピエンスにはある。
だから乳幼児期の性判断は、乳児が人間になるうえで避けることのできない根源的暴力。
これは、「言語獲得による意味の発生と世界の縮約(ラカン指摘の、2才までの現実界le Réelから言語獲得以降の象徴界le symboliqueへの移行)」に似ている根源的な暴力性だ。
この根源的暴力性からは誰も逃げることはできないため、思春期以降の性同一性の揺らぎは、乳児期の性に関する根源的暴力性からの脱出を保証する保険だと僕は解釈している。
これに対して、引用した児童期のゲイ強要暴力は、デリダ言うところの「闇の暴力」。いわゆる「人権」の完全抑圧だから、法的にも許されない。
根源的暴力(言語や性の不可避の刻印)と、この「闇の暴力(ex.性暴力/児童虐待)」の、オーダーの異なる2つの暴力を理解し、後者の闇の暴力を社会として排除するのが真のモラルであり真のポリコレでもある(この次元と、多様な性間の愛は区別される必要がある)。
その意味で現代は、モラルとポリティカルコレクトネスが混乱しきった社会でもある。子どもたちに申し訳ない。