tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

実は癌でした

このことを書くのはやめておこうとずっと思っていたのだが、昨日「高校生マザーズ5@住吉区」イベントで、高校生マザーやその夫、2人の子どもにもご参加いただき、またオックン奥田さんや新山さんほか、僕が支援した若者たちも一体となった「チーム・ドーナツトーク」の姿を見てなんとなく書いてもいいかなあ、という気分になった。

 

また、いつものことだが、「仕事」の重さについて昨日も少しだけ議論になり、僕はあっさりと「仕事なんかしなくてもいいですよ。仕事が苦手な人は誰かに食べさせてもらえばいい」と断言できたことも含め、なぜ僕が「振り切っているか」ということを書く必要もあるなあと今朝思った。

 

僕は10年前に脳出血となり、そこからの「生還」話はいろいろなところで書いている。その経験があってこその、いろいろな規範から本格的に自由になったと自認している。

 

だが実は、昨年、その脳出血後毎月訪れるクリニックの血液検査のデータを見たドクターが、「前立腺の数値が気になる」と言った一言で、次の試練が始まっていた。

 

どうやら僕はあの「前立腺癌」っぽかった。だが前立腺癌は「活力」ある男優たちもよくかかる、なんというか、発達した現代医療(あえてポジティブに表現します)によく見られる「あえて見つかる病気」であり、一昔ならば見つからなくてもいい病気の一つだと僕は思っていた(類似に甲状腺癌など)。

 

だから、そのホームドクターの一言は無視しようかなと思ったのだが、なんとなく善人なそのドクターの笑顔に負けて、僕は近所の大阪府立病院(いまはそれっぽいカッコいい名前になっている)に行って、あの大げさな検査を受けた。

 

 ***

 

その検査はエグすぎたのでここでは細かくは書かないが、まあ恥ずかしい姿勢を取らされたそのままの姿で、和やかに語る看護師さんたちとエグい検査を受けた。

 

その結果、やっぱり前立腺癌だった。

 

僕は20代の頃「さいろ社」という出版社を友人の松本くんと立ち上げ、20代後半で辞めたものの、その頃の医療問題は相当深く取材した。

 

癌に関しても雑誌の特集までは組まなかったが、取材する看護師さんたちのトークの中にはいつも出てきた病気だったし、それの「告知」問題は90年代前半までは医療における最大の問題のひとつだった。

 

だが実際に自分が癌になり、その「告知」を受けた瞬間はあっさりとしたもので、

 

「癌ですね〜」

 

とニヤニヤ目のドクターに告げられたのだった。それは、軽すぎた。

 

だが、その「軽さ」は僕に衝撃を与えることなく過ぎ去り、いわゆるステージ1程度の軽いものだったそれの治療は、放射線療法も抗癌剤も必要なく、別の薬を毎月飲むだけのものだった。

 

その薬の副作用的なものは別に書こうと思うが、それから1年以上たち、僕の前立腺癌は消えてしまったらしい。

 

 ***

 

つくづく、あれは変な体験だった。10年前の脳出血が超ドラスティックだっただけに、3大疾患の一つである「癌」を患ったにしてはずいぶんあっさりしていた。

 

もちろん、僕の友人の中には、抗癌剤放射線治療を受け、激しい副作用と対峙する方もいらっしゃる。そんな方々にはたいへん申し訳ないのだが、あの検査のハードさに比べてみると、その治療は実にあっさりしたものだった。

 

だが、10年前の脳出血に続いて、「死」を意識させてくれた「癌」という言葉の響きは、僕には大きな意味があった。

 

それはとにかく僕に、

 

自由

 

という言葉と意味を再び考えさせるものになっている。

 

僕が生きていく上で「自由」という価値は最も重要なもので、そこに経済学的な厳しい意味が多少くっついていたとしても、根源的自由さを追求し続けることが、僕が生きる意味だと思っている。

 

僕の場合、癌はあっさり治ったものの、それになったことでこの1年以上再び深く「自由」を考えてこれたことはよかった。

 

だから、「仕事なんてどうでもいい」と普通に断言できる。

 

我々の人生は限られており、その限られた時間の中で自由に生きることが何よりも大切だ。

 

それを抑制するもの(たとえば仕事という名の労働)があり、それが辛ければ、さっさとやめたほうが得だと思う。