tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

「カフェの力」を共同親権ムーブメントに〜「パートナーズカフェ」のはじまり

■「哲学カフェ」

 

先日、共同親権裁判でしばしはそのお名前を見聞きし、僕自身も加入する「共同親権研究会(西東京ほかがある)」でリーダーシップを取っていただいている古賀礼子弁護士とともに、共同親権をすすめるための「合宿」に僕は参加した。

 

何人かの別居親の方々や、それらを応援する人々ともに有意義な時間を過ごしたのだが、最後に出てきた話題が、共同親権ムーブメントの中でも「カフェ」を取り入れていこう、ということだった。

 

カフェのムーブメントとは、おそらく20年ほど前に日本に導入された「哲学カフェ」から始まる。

 

これを日本で最初に導入したのが大阪大学大学院「臨床哲学」教室であり、それを主催するのが高名な鷲田清一教授でもあったことから(のち総長)、わりと短時間で「哲学カフェ」は日本に広がっていった。

 

そこには利害が絡まないこと、名称に「哲学」がついているわりには参加しやすかったことなどから、いまでは大阪大学を超えて日本中あちこちで開催されている。

 

僕はゼロ年代はじめ、その臨床哲学教室の大学院生で、パリに留学中の同教室のH先生の導きで、本場の哲学カフェも体験したことから、仕事の多忙さで同大学院とは離れてしまったものの、なんとなく今日に至るまで哲学カフェとはつながりがある。

 

■「カフェ」と自由

 

哲学カフェを正確に定義づけるのは難しいが、あえて羅列してみると以下のように説明できる。

 

1.我々の常識を「カッコ」に入れる

2.誰かがしゃべっているときは、「耳を澄まして」聴く

3.ひとりで長々としゃべらない。「語りのつらなり」を意識する

4.哲学の専門知識は不要

5.熟練のファシリテーターが必要

 

等になるだろう。こう書くと簡単そうだが、5.のファシリテーターの力量で深まることもあれば、語りそのものが崩壊することもある。

 

何よりも、それぞれの常識(価値や規範)からある程度「自由」になることを意識する、そのことが重要だ。

 

■高校内居場所カフェ

 

この哲学カフェに加えて、「サードプレイス」的要素を含んだ場所づくりも必要だ。

 

ファーストプレイスは家族、セカンドプレイスは職場や学校/授業であるが、このふたつを超えたサードプレイスを設定することが、我々の日常にとって必要であると、僕はたびたび書いたり発言してきた。

 

そのひとつが、高校内に「居場所カフェ」をつくり、生きづらさを抱えるハイティーンたちをやわらかく支える、高校内居場所カフェの取り組みだ。

 

その「一号店」である、大阪府立西成高校の「となりカフェ」は今年で10周年を迎える。

 

その10周年イベントは先日盛況の中終わり、また、同様の試みは全国に60校ほど広がり、明石書店より単行本学校に居場所カフェをつくろう!も発行された。

 

街中ではなく、生徒たちにとってセカンドプレイスである学校のなかに、あえてサードプレイスをつくる。そのアクセスのしやすさが、生きづらさを抱えるハイティーンをサポートする。10年たって証明され始めた効果が、この試みには確かにある。

 

■「カフェの力」

 

規範からの「自由」や、サードプレイスでのくつろぎ、こうした要素には何らかの「力」があるようだ。

 

この「力」を、僕は「カフェの力」と名付けようと思う。自由の力でも、サードプレイスの力でもいいのだが、やはり10年続いてきたその力の効用に敬意を払い、「カフェの力」としたい。

 

この「カフェの力」を、共同親権ムーブメントに合流させる。

 

これまでは、「権利」としての法的言説、vs単独親権としての議論的言説、世界の潮流である共同親権に近づけるための政治的言説、として共同親権は語られてきた。僕が想定した速度よりはだいぶ遅いものの、時代の流れとしては、共同親権が親権システムの中心になることは間違いないだろう。

 

だからこそ、時間はややかかるだろうが、これから法的システムに組み込まれていく共同親権を、「自由」や「居場所」論的に、思想的に語り合う時期がついに到来したのではないだろうか。

 

そしてそのテーマを、間口の広い「パートナーズ」を考えることにまずは設定する。カップルや夫婦ではなく、パートナーズ。また、あえて複数形にする。

 

おそらく、親権が法的に共同親権として設定され、離婚が今よりもさらに法的に整えられていくだろうこれからの時代、そうした法学や社会学等では語りきれない根源的語りが求められるようになると僕は思う。

 

そうした根源的語りを実的に行なうためのシステムとして、「カフェの力」を借りてみたい。

 

そして、まずは「パートナーズカフェ」として、恋愛期はもちろん、倦怠期・空気期・離婚期・破滅期・「新局面」期(新しい関係性の時期)等々、パートナーズをさまざまな局面から語る。

 

この行為が、「サバルタン」である子どもたちにも光を当て、別居親なども含めて、全員が顕在化できることにつながるのでは、と僕は思う★