tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

若者支援には「複合的専門性Complex expertise」が必要〜サポステの刷新か、新しい社会資源を

■最初の頃のサポステは魅力的だった

 

いまから10年以上前、できたばかりの地域若者サポートステーションは魅力的な社会資源だった。

 

そのサービスは、僕が代表を努めていた「ひきこもり支援NPO」のサービス内容とも重なり、ゆっくりと丁寧に若者たちに寄り添い支援してくれるそのあり方は、我々「アウトリーチひきこもり支援NPO(長いひきこもり生活から抜け若者がまずやってくる場所)」の次のステップとして十分機能していた。

 

次のステップとは、なんとか外出できるようになった若者(発達障害精神障害ももつ)が安心して通え、時間をかけてスタッフ(若者にとっては最も苦手な「他人」代表でもある)と交流し、「社会参加」のイメージをゆっくりと形成していく場、だ。

 

■一生の付き合い

 

時間をかけて人と交流するなかで、発達障害支援や精神障害支援の始まりが現れる。

 

発達障害支援が必要だと判断された場合、いきなり医療機関を訪ねるのではなく、「示唆 サジェッション」の段階が必要である。

 

それは簡単ではなく、まずは親へのゆるやかな説明の段階があるが、ここで多くの親は衝撃を受け、嘆く(泣く)。その感情を共感的カウンセリングを行なう中で受け止め、ゆっくりと受容していただく。

 

そのなかで、親自身の発達凸凹に気づくときも多い。その後、子どもへの時間をかけたサジェッションがつづき、ようやく発達障害支援センター等の専門機関への紹介となる。このサジェッションの期間は半年かかることも普通だ。

 

また精神障害についても、慎重に見極め、寄り添ったあと、心療内科に紹介していく(精神障害の場合はすでに医療機関につながっている当事者も多い)。

 

統合失調症の見極めと医療機関への誘導には数年かかることも珍しくはない。双極性感情障害についても、その当人にとっての深刻さ(しんどさ・苦しさ)について親に理解してもらうことも時間がかかる。単なる鬱との違いについても説明が難しい。

 

PTSD支援では、数年単位の寄り添いが必要であり、理解ある専門医との出会いが不可欠になる。BPD(境界性人格障害)は発達障害と重なることが多いが、長く地道に支えてくれる支援者(これはNPOスタッフに適任)との出会いも不可欠になる。

 

虐待サバイバーの場合は、発達障害愛着障害精神障害と知的障害と境界性人格障害等が複雑に絡み合っていることが多い。これらの結果、「人を信じることができない」当事者たちに対して、時間をかけて心を許してもらう。

 

僕はそうした若者の何人かは、一生の付き合いだと思っていつもその若者たちのことをひっそり思っている(かといってディープな支援は行なわない。「ずっと田中さんが見守ってくれている」と本人たちが思うのが重要)。

 

そんなつきあいが、生活保護とは別の意味で、結局「最後のセーフティネット」になっていく(そういえば貧困支援にふれるのを忘れていた。生活保護へとつなげる場合、僕のような熟年男性支援者が付き添っていくと、受付窓口が優しくなる傾向がある)。

 

■他人への信頼は、反復と、成功体験と、プチ失敗体験などから

 

「田中さん」だけではなく、「ドーナツトークのスタッフ」あるいは「ドーナツのまわりの優しい専門家の先生たち」というふうに、当事者にとって支援者の輪が広がってくれたら嬉しい。フロイトではないが「終わりなき」支援を行なう際は、皮肉なことに、これを検討したフロイトのように一人で行なうほうが危険だ。

 

アウトリーチの段階は上のような「障害の示唆」は一部であり、そのメインは「他人との信頼関係の復活」でもある。

 

それを、カウンセラーとの柔らかい会話や、NPO内での緩やかだが緻密に計画されたイベント(調理等)のなかで、「プチトラブル」も体験していく中で獲得する。

 

他人への信頼は、時間をかけた反復と、そのなかでの成功体験と、またプチ失敗体験などが複合的に重なって形成される。そうした体験を通じて「障害の受容」もなされていく。

 

■「就労」は社会参加の一部

 

次のステップに「社会参加」があり、「就労」はその体験の一部に過ぎない。

 

ほかに、「一人暮らし(親との別居)」や「恋愛」などがある(8050問題になると「親の看取り」が入る)。「働くこと」は、いくつかの社会参加のひとつに過ぎないし、働くことは普通はそれほど長くは続かず試行錯誤の反復となる。

 

就労も、スモールステップを踏む(短期バイトや単純労働から始まり、より複雑な仕事へとステップアップする)。また障害がある場合は、障害者枠の中での就労を目指す。その場合は専門の福祉機関へとつないでいく。そのなかで、障害者手帳の取得をアドバイスしていく。

 

人によっては、障害年金のゲットを親や本人と話し合う場合も多い。それら、手帳や年金の具体的手続きになると、これまで培ったネットワークが役に立ち、福祉の専門家のみなさんが大いに助けてくれる。

 

■サポステの位置づけの再考か、複合的専門性にふさわしい新しい社会資源の創設を

 

このように、「若者支援」といってもそこには様々な問題が横たわり、それらが複雑に絡み合う。まさに、「複合的 Complex」に問題は重なっている。

 

その複合性にはそれぞれの問題に関する専門性 expertiseが不可欠である。

 

たとえば現在のサポステが想定しているような「普通の就労支援」だけではむしろ危険だ。

 

そして、そうした「複合的専門性Complex expertise」にはカネがかかる。現在のサポステの入札で行なわれている「安売り合戦」ではサービスが劣化し事故も起こるだろう。

 

あるいは、そのあたりを鋭く読む多くの当事者若者が現在行なっているように、サポステの支援を受け続けることを当事者たちが諦める。その結果、問題が隠蔽され潜在化される(サバルタン化)。

 

フリーター予備軍だけでも10万人は存在するので、サポステと厚労省としては表面的にはそれなりの「結果」は出る。

 

だが、以上書いたように、現代の「若者支援」とは、すこぶる専門的だ。

 

それは、「複合的専門性Complex expertise」と言ってもいいと思う。サポステの位置づけの再考か、複合的専門性にふさわしい新しい社会資源の創設を願う。