◾️エロテロリスト
【「写真の中ではエロテロリストでいなきゃいけないという気持ちがずっとあり、今回もその気持ちで臨みましたが、どうやら穏やかな写真集に。M字開脚など過激なものもあり、もちろん攻撃的ではあるのですが、なんか少し弱いなと(笑)。優しい表情や目つきになっている自分に驚きました」】
上野千鶴子流ルサンチマン/マルクス主義フェミニズムが蔓延する日本では、インリン的「エロテロリスト」は男の性欲の奴隷という意味で論外だろうが、この「母になったエロテロリスト」インタビューには、狭隘な上野主義を超克する要素がいくつか見られる。
それは、
①母になるとやさしくなり、価値が広がる
②表現欲望は衰えないが、プロデューサー的立場に関心を抱く
③男の性欲も消費の一つとして常識化される(これは「母以前」からか)
等々だ。
◾️女・母・科学者(職業人)
だがしかし、写真にはインパクトはあるものの、滲み出る「やさしさ」とのバランスで苦労するように見える。
アニメ『エヴァンゲリオン』のテレビ版で、赤木リツコの母ナオコが、スーパーコンピューターMAGI に「女・母・科学者(職業人)」の三要素を持たせたが、エヴァ上でのナオコの優先順位は、1.女2.科学者3.母だった。
ナオコ自身は内面の「女」に翻弄され崩壊し死んだものの、エヴァ物語上は、その崩壊こそがナオコとMAGI を永遠に刻みつけるものにした。
僕も、この庵野流「女性の生き方」解釈には賛成で、人間としての魅力を女性に見る時、「女」と「母・職業人」の間で崩壊あるいは揺れ動く女性にある種の魅力を感じる。
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けれどもそこには、
A.子どものサバルタン化(潜在化)と、
B.社会的責任(ex.不倫に伴う賠償責任)
というリスクが待つ。
またそれ以前に、
C.「母としてのやさしさ」がインパクトの弱さを生み出してしまう
という、表現者としての致命的欠点を内包する。
つまり、母であることが、職業人と女であることを根源的に邪魔をする。
言い換えると、「表現者としての女・職業人」を「母」が邪魔をする。
だから、自分の「女」性に自覚的な女性たちは、独身時代に燃え尽きるか、離婚を繰り返すか結婚後不倫をするか(いずれも子どもが被害)に走る。
この点を論じるのが、21世紀のフェミニズムだと僕は思う。この点を「お一人様」等でごまかす上野流ルサンチマン/マルクス主義フェミニズム には、大欠点があるんでしょうね
インリン、久々M字開脚に苦戦もラスト写真集でエロテロリスト貫く! 母になり優しさもにじみ出る「これが私の人生」 (2) | マイナビニュース