tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

うつせみと、思ひし時に、取り持ちて、我がふたり見し、走出の、堤に立てる〜万葉と五七の魔術③

【うつせみと、思ひし時に[一云(いちにいわく) うつそみと、思ひし]、取り持ちて、我(わ)がふたり見し、走出(はしりで)の、堤(つつみ)に立てる、槻(つき)の木の、こちごちの枝(え)の、春の葉の、茂(しげ)きがごとく、思へりし、妹(いも)にはあれど、


頼(たの)めりし、子らにはあれど、世間(よのなか)を、背(そむ)きしえねば、かぎるひの、燃(も)ゆる荒野(あらの)に、白栲(しろたへ)の、天領巾(あまひれ)隠(がく)り、鳥じもの、朝立(あさだ)ちいまして、入日(いりひ)なす、隠(かく)りにしかば、我妹子(わぎもこ)が、形見(かたみ)に置(お)ける、みどり子の、乞(こ)ひ泣くごとに、取り与(あた)ふ、物しなければ、 男(をとこ)じもの、脇(わき)ばさみ持ち、我妹子(わぎもこ)と、ふたり我(わ)が寝(ね)し、枕(まくら)付(つ)く、妻屋(つまや)のうちに、昼はも、うらさび暮らし、夜はも、息づき明かし、嘆(なげ)けども、


為(せ)むすべ知らに、恋(こ)ふれども、逢(あ)ふよしをなみ、大鳥(おほとり)の、羽(は)がひの山に、我(あ)が恋(こ)ふる、妹(いも)はいますと、人の言(い)へば、岩根(いはね)さくみて、なづみ来(こ)し、よけくもぞなき、うつせみと、思(おも)ひし妹(いも)が、玉(たま)かぎる、ほのかにだにも、見えなく思へば】

意味
【この世に生きている思っていた時に、手をとって二人で見た走出の堤(つつみ)に立っている槻(つき)の木のあちらこちらの枝の春の葉が茂っているように思っていた妻だったけれど、
世のならいには逆らえないので、かぎろいの燃(も)える荒野に白い布に包まれて鳥のように朝に(あの世に)発ってしまって、隠(かく)れてしまったので、妻が形見に残したおさな子が泣くたびに与える物も無いので、男の身なれど、子を脇にはさんで、妻と二人で寝た離れの家の中で、昼は寂しく暮らして、夜はため息をついて嘆くけれど、

どうしていいかわからず、妻を恋しがっても会うこともできないので、羽(は)がひの山に、私の妻がいると人が言うので、岩を上ってやっとのことで来た、その甲斐(かい)もないことです。この世に私と一緒に生きていると思っていた妻が、ほのかにさえも見えないのだと思うと。。。】

 

 ※

 

万葉仮名の原文は漢字だらけだが、柿本人麻呂の優れた長歌(挽歌)。

 

ここでも続く五七調の力強さは、現代の日本のロックではとても敵わず、かといって気を衒った日本語風英語詞も決定的に弱い。

 

そもそも「音」として五七調がすでに完成しており、そこに当て字として万葉仮名が形成され、そこからかなカナ形成へと続く飛鳥から平安に至る数百年で、すでに日本人の思考様式(ラカンふうに言うと象徴界の形式)が完成している。

 

この縛りが我々日本語を使う人々の基本にある。この縛りは強力で、またほぼ完成されており、清志郎矢野顕子ユーミンも米津玄師も敵わない。

 

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