tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

ささやかだけれども、ずっと子どもたちの幸福を祈る別居親たちの姿

今年は、これまで共同親権を模索してきた人々の思いが一気に集約される年になったと思う。

 

長くこの運動に携わってきた方からすれば、「あの数年前も同じような鼓動があった」と振り返ることだろう。

 

また、当事者たちのそれぞれの「運動論」からすれば、運動の進め方の細かい違和感はあると思う。「単独親権」を完ぺきに排除するかしないか云々。

 

けれども、恩讐を超えて、今こそ親権のベースを共同親権に据える時がやってきたことは、運動の中心にいる人たちは感じ取っているだろう。

 

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だが、恩讐を越えられない人たちもいる。

 

変な日本語だが、あの「高葛藤」に悩まされてきた元夫婦からすれば、葛藤(要するにケンカ)体験の重みがすごすぎて、共同親権など考えることもできない。

 

そこに、あからさまなDVや児童虐待がなくとも、離婚と離婚以降も延々もめてきた元カップル/夫婦からすれば、その葛藤を乗り越えた「共同」などは偽善に思える。

 

だから、そうした「当事者」からすると、共同親権的理想論は「ウソ」に見える。

 

この頃は共同親権はずいぶん市民権を持ち、来年にも民法改正があるかもしれないので大っぴらには言えない雰囲気になってきたものの、「それは理想論だ」と吐き捨ててしまう親たちも一定数いらっしゃる。

 

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僕は支援の仕事でそうした親御さん達と日常的に出会ってきたが、夫婦間での高葛藤を抱えてきたそれら親御さんたちはいずれも「善人」である。

 

よほどのことがない限り、それら善人たちは「子どもの利益」を第一に考えている。

 

特に、「別居親」と呼ばれる人たちは、もちろんそのほとんどがDVをしているわけではなく、そのほとんどが自分の子どもの幸福を願っている。

 

その願いは、子どもと会うことがたいていは月イチペースのため、その限られた「面会」時間の中で、親としての自分の思いを結実させようとする。その願いは切なく、けなげで、献身的だ。

 

それこそが「親」というものだろう。月イチ2時間程度の「面会交流」(冷たい響きの言葉だ)の中で、元パートナー/同居親を気遣いながらも(彼女/彼らに拒否されると「面会交流」自体できなくなる)、別居親たちは子どもと会う方法を模索する。

 

元パートナーの気分次第で月イチ2時間しか我が子と出会えない。それでも、子どもにとって「善きこと」と想像すれば、想像できるだけのポジティブなプレゼントを用意する。

 

そんな健気な親たち(別居親たち)の気持ちがあなたには想像できるだろうか。そんな親達からすると、「共同親権」は理想論なのかもしれないが、現在のどん詰まり感に風穴を空けてくれる方法論でもある。

 

その風穴の先にはささやかだけれども「幸福」が待っている。

 

「昭和フェミニズム」が一方的に毒してきた「強圧的な親(男性ジェンダーとも言い換えられる)」というイメージを超えたところにある、ささやかだけれどもずっと子どもたちの幸福を祈る親たちの姿がそこにある。

 

そのようなささやかだが強い幸福への願いの力によって、高葛藤他の「恩讐」を超える時が今やってきていると僕は感じる。時が満ちた感じ、だ。