tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

綾波とアルベルチーヌ〜庵野は「綾波」から逃れたいのか?

相変わらず庵野映画は映画館では見ないことにしている僕だが、相変わらずその批評YouTubeは50本ほど見た(映画はいずれAmazonで見る)。

 

その中で一番しっくりきたのがこれ。何種類もある予告編やYouTube批評を見るなかで僕が抱いた庵野新作の感じは、

 

①またもや『エヴァ』の焼き直し
ゴダール(メジャーな『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』等)の焼き直し

 

だった。


①は数人の庵野マニアが語っていたが、②はおらず、ユーチューバーにはゴダール好きがいないのかなあと落胆していた。

 

けれどもこの方は鋭くそのことを見抜いていたので嬉しかった(動画は下urlから)。

 

ゴダールのメジャー作品はそもそもメッセージ性を排除していると僕は思うので、その雰囲気だけを「いただく」のは作ってて楽しいと思う。

 

だが、明るいアンナ・カリーナではなく、モノクロのジーン・セバーグを取り上げているのが、「結局何を作っても綾波か、庵野?」の庵野らしいところ。ジーンも『勝手にしやがれ』ではよく笑っていたはずだが、この綾波イメージから逃れられないのが庵野であり、その思いはよくわかる。

 

 *

 

庵野批評のコアは、

 

庵野は『綾波』から逃れることを望んでいるのか?」

 

という問いだろう。

 

どの作家にも「綾波」はいるだろうが、その作家は、以下の3パターンに苛まれていると想像する。

 

①「綾波」から作家は逃れたいのか
②作家の中の「綾波」がいつのまにか消滅しているのか
③心の中の「綾波」の消滅の前に、作家自身がプルーストの如く現実に死んでしまうのか(プルーストの場合、恋人「アルベルチーヌ」はプルーストより先に死んでいる)

 

一番幸せなのは③のプルーストパターンだと僕は思います(僕自身は②に収まりそう、残念!)。

 

庵野は、シンエヴァで②と見せかけながら(ラストで本当に「綾波」から離れた)、おそらく③に向かって走っている😀

 

https://youtu.be/Q6dp-C3hhrw