相変わらず庵野映画は映画館では見ないことにしている僕だが、相変わらずその批評YouTubeは50本ほど見た(映画はいずれAmazonで見る)。
その中で一番しっくりきたのがこれ。何種類もある予告編やYouTube批評を見るなかで僕が抱いた庵野新作の感じは、
①またもや『エヴァ』の焼き直し
②ゴダール(メジャーな『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』等)の焼き直し
だった。
①は数人の庵野マニアが語っていたが、②はおらず、ユーチューバーにはゴダール好きがいないのかなあと落胆していた。
けれどもこの方は鋭くそのことを見抜いていたので嬉しかった(動画は下urlから)。
ゴダールのメジャー作品はそもそもメッセージ性を排除していると僕は思うので、その雰囲気だけを「いただく」のは作ってて楽しいと思う。
だが、明るいアンナ・カリーナではなく、モノクロのジーン・セバーグを取り上げているのが、「結局何を作っても綾波か、庵野?」の庵野らしいところ。ジーンも『勝手にしやがれ』ではよく笑っていたはずだが、この綾波イメージから逃れられないのが庵野であり、その思いはよくわかる。
*
庵野批評のコアは、
という問いだろう。
どの作家にも「綾波」はいるだろうが、その作家は、以下の3パターンに苛まれていると想像する。
①「綾波」から作家は逃れたいのか
②作家の中の「綾波」がいつのまにか消滅しているのか
③心の中の「綾波」の消滅の前に、作家自身がプルーストの如く現実に死んでしまうのか(プルーストの場合、恋人「アルベルチーヌ」はプルーストより先に死んでいる)
一番幸せなのは③のプルーストパターンだと僕は思います(僕自身は②に収まりそう、残念!)。
庵野は、シンエヴァで②と見せかけながら(ラストで本当に「綾波」から離れた)、おそらく③に向かって走っている😀