■「モテ/非モテ」の問題ではなく、「結婚にはメリットがない」ということ
少子化の根源は、結婚済み夫婦が「子どもを産むか」ではなく、子どもを産むための前提である「結婚するか/できるか」ということだ。
ここまで非カップルの確率が高いとそれは「モテ/非モテ」の問題ではなく、「結婚にはメリットがない」ということに尽きる。
結婚のデメリット化の背景には、
①「結婚規範」の崩壊、
②恋愛コミュニケーションの煩雑さ、
③お手軽なネット友だちコミュニケーション(SNS とゲーム)、
④お手軽な自慰手段のネット利用化、
等があるが、僕が毎日若者たちを支援していて感じることは、
《若者の孤独は「既存の恋愛コミュニケーション」では解決できない》
ということに尽きる。
■他者への気づかい以上に、「わたし/僕を見て知って助けて」
恋愛を通したコミュニケーションの基底には、「他者への気づかい」が求められるが、若者(あるいは現代人)の孤独は、他者への気づかい以上に「わたし/僕を見て知って助けて」という欲望がある。
現代の若者は基底に、この、
A.「自分に対する深刻な『承認と受容』の欲望」
がまずある。
そして、Aとは矛盾する水準に、
B.「他者の孤独もわかるために自分の欲望は遠慮する」
という自制も同時に走っている。この、
「自分を受容してほしい」と、
「他者の孤独もわかるので、自分は我慢するしかない」
という矛盾する2つのラインが、同時に1人の若者(ジェンダーは関係ない)に走り共存する。
この、圧倒的な「ダブルバインドの孤独」が、ヒトとしての性欲と人間としての恋愛欲を完全に凌駕している。
ここには、「快感の肯定」や「他者との溶け合い」のような哲学の最前線の議論を受け入れる余裕はない。ドゥルーズはもちろん、デリダもフロイトも、ニーチェさえ完全スルーしてしまうほどの、完全なダブルバインド孤独なのだ。