⬛︎いつもの記者と、いつもの弁護士
「虐待から逃れられなくなる危険がある」…離婚後の「共同親権」 弁護士グループが問題点訴える:東京新聞 TOKYO Web
いつもの大野記者。いつもの弁護士。
申し訳ないけど、現状の離婚後の単独親権でも、DVと虐待は日常的にあるんですよ。
僕は自分の仕事では毎日傷ついた母と子を支援しています。そのトラウマ対応は理論的にはいろいろあるものの、結局は「生涯寄り添っていく」しかないと思っています。
データ上でも児童虐待の最大の加害者は実母です。子ども視点では、いまの単独親権の法律のほうが危ない。
⬛︎子どもからすると、両親が生きている限りは両親と会いたい
問題は、
《「親権」と「暴力」はオーダー/体制/基準が異なる》
ということです。
暴力という観点から見ると、原則共同親権になっても暴力は生じるでしょうが、ドメスティックで閉ざされたシステムである現状の単独親権よりはだいぶマシだろうということ。
それよりも、子どもからすると、両親が生きている限りは両親と会いたい。
DVや虐待可能性のある親の場合、法的に(DV防止法で)引き離しますが、それ以外の大半は今よりも両親が関与していくほうが子どもにとっては心地よい。
⬛︎離婚弁護士の仕事
離婚弁護士の方々は、養育費ピンハネ問題はさておき、目の前のDV被害クライエントのことを思うと、現状維持にすがりたくなるんでしょう。けれども、DV防止法の実質的活用に取り組むのは専門家である弁護士の仕事です。
支援措置の悪質な使用を抑制するのもその一環。現状の「実子誘拐/連れ去り」の安易な方法論を捨てる時が来ています。
割合的に数%と言われる悪質なDV対策への対応を工夫するのが、専門家である離婚弁護士のみなさんの仕事。
この「暴力」対応という個別的なオーダーと、「親権」という家族に関する一般的なオーダーは、議論の水準が異なります。
⬛︎(暴力と親権の)オーダーを区別する
だからこの問題は、
「(暴力と親権の)オーダーを区別する」
というある意味哲学的な問題なのですね。概念や理念といった抽象度の高い分野の議論ですので、弁護士という究極の知性が求められる専門家には、この抽象度の高い問題は相応しいと僕は考えます。
僕には、今の多くの専門家たちが、一般性の問題である親権問題をあえて曖昧にし、単独的な問題である個別の暴力をあえて混同させているように映ります。
なぜ、一般性と単独性を区別できないのか?