歌詞は冒頭の2行だけGoogle検索からのスクショ。これだけでもルーリードが描く世界が浮かび上がる。この50年以上前の歌にはもちろんうわっぺらのポリコレはなく、キャンディの側に立ち続けるルーリードの代弁の覚悟のみが伝わる。
当時もキャンディやルーは生きづらかっただろうが、今のようなポリコレ的タテマエのない、生きづらさと孤独だった。ある意味、魂の孤独。
このルーとキャンディの孤独は現代にも流れていて、ポリコレ的な分厚い上澄みをすくいとって水底の言葉を探すと、そこには50年前も現代も同じ、当事者たちの言葉が沈む。
その言葉たちを見つけてすくい出すのであれば、それを紋切り的に「人権」と呼んでもいいと、この頃の僕は思う。
いやむしろ、その時にこそ、人権/human rights /Droits de l'hommeを使い、ポリコレが覆い隠すキャンディセッズを見つめたい。