マイノリティ運動(現在の日本の代表がフェミニズム)が利権化すると一定のパワーを持ち、それは「集団的いやがらせ(含ネット活動)」「スラップ訴訟」「糾弾(ある時期までは必要だがパワーを持つと脅迫活動となる)」として顕在化します。
顕在化したそれらの運動と左翼活動(家)が結びつき、近代国家の普遍概念である「言論(表現)の自由」の抑圧としても機能します。
現在起こっている「保守勢力のほうが言論の自由を守る」という事態は、以上のような「マイノリティ運動の利権化」「左翼活動家と一体化した脅迫活動化」「言論の自由の抑圧」という諸事態にうんざりするサイレントマジョリティを代弁しています。
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ですが、パワーを持ったマイノリティ運動の中にいる個人は、運動自体が権力化しているとはいえ、その個人の歴史の中で抑圧(差別)を受けてきた実感が強く、自分の属する運動体が権力化していることに気づけません。
個人史においてマイノリティである実感(差別されてきた実感)はその結果のPTSDとともに消えることはなく、そのマイノリティ感が、運動団体としての脅迫活動をかたちづくるというアポリアを招いています。
この「非抑圧感のある個人で組織される、権力化したマイノリティ運動」というねじれが、その運動団体の権力性に団体メンバーたちが気づけない要因です。
個々のルサンチマンで構成されたねじれにより、運動の矛盾(マイノリティなのに抑圧者となる)に気づけないんですね。