僕は「川西市子どもの人権オンブズパーソン」の調査相談専門委員で、ふだんはほとんどサボっているのだが、1年に数回参加している。
今日(8/25)は夏季研修。夕方までびっしりだが、実は僕はだいぶ前に川西に10年くらい住んでいて、すごく懐かしい景色。五月山が泣ける。
今回の同研修は有意義で、とても勉強になった。
いつもながら僕は、トリックスター的に前半しゃべりまくったが(主として進行と構成について意見)、徐々に出席者の先生方(弁護士や大学教授、さまざまな支援者)も熱く語り始めた。
いちばん僕のこころに響いたのが、20年以上前の創設メンバーの方が熱く漏らした、
「オンブズパーソンとは、子どもの単なる代弁(アドボカシー/リプレゼンテーション)者ではなく、
〈公的良心の喚起者〉
である、という提起だった。
それは支援のための代弁に留まらない。
社会の構成員が共有する「公的良心」があるとして、オンブズパーソンは、当事者である子どもの言葉や態度から発見しその公的良心を具体的につくりあげていく。
哲学的に分析すると、ここには他者とのややこしいコミュニケーションはあるものの、「法」はそこまで入り込まない。
無邪気だが正義と良心を尊ぶ「法」は、子どもたちの声から公的良心を構成する。そしてその構成した良心を喚起していく。
つまりこの「代弁」は「支援」を含みはするがそれだけではなく、人々が受け入れることができる正義と良心を訴えていく代弁だ。この点が、アドボカシーやリプレゼンテーションとは異なる。
また、それだからこそ、「法の番人」である弁護士が矢面に立つ理由がある。
長く子どもオンブズパーソンと関わってきたが、今日ようやく理解できた。