tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

明確な診断(発達障害やBPD等)のさらなる「底」に潜むトラウマ

目の前に座るクライエントがたとえば発達障害と診断され、アスペルガー特有の行動が目立つとする。あるいはADHD的激しい行動化でもいい。

 

それに常時向き合うことになる支援者としては、「環境改善」を支援の短期目標に掲げ(視覚情報を元にした「その都度の見通し」の明確化等)、長期目標は「卒業・進学」や「障害者就労支援に乗ること」に設定する。

 

この線に沿って支援しつつ、「日々の生きづらさ」を聴き、「その単独的な生」を肯定することを反復する。

 

それでも、支援の中で独特の違和感を感じ始めることもある。それが、環境改善や投薬から零れ落ちる、クライエントそれぞれの社会との不適合だ。

 

その不適合は十人十色なので一般化しにくいが、単なる大幅な遅刻や独特の慎重さや恐怖症等の心理的なものに加え、自律神経の乱れから来るであろう身体の不適合さなどが加わる。大幅な感情の乱れや破壊的人間関係などもある。

 

それらが反復される時、明確な診断(発達障害やBPD等)のさらなる「底」に、いわゆるトラウマが潜んでいるのだろうと僕は推測する。

 

そのトラウマは多くは「児童虐待」的出来事だろうが(深刻な「いじめ」被害も含)、地震等の「自然災害」や凄惨な「交通事故」なども含まれる(「戦争」は現代日本ではまだない)。

 

このように、ティピカルな診断名がつきながらそこからはみ出す行為が反復される時、背景にトラウマ(「出来事」による傷つき)があることを想定してクライエントと関わる/支援することを、トラウマ・インフォームドケアというのだと思う。

 

これはほとんどの人々に応用可能な視点だと、辻田さんと僕(もちろんオックンも)は考える。

 

我々が常日頃接するその支援の困難さについて、会場ともシェアしつつ、静かに、情熱的に語りたいと思います。