tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

下水道の中の「詩」〜XはTwitterを超えた

パリ市長がX退会のニュース。「世界規模の下水道と化した」とのこと。

 

下水道には下水道のリズムがあって、確かワイダ監督の『地下水道』も限りなく下水に近い水道だったと記憶しますが、絶望の中でも続く「意志」を感じました。

 

長文の表象(有料)や、集合知によるフェイク修正、それらを踏まえた上での発言の自由など、XはTwitterよりもはるかに進んだと思います。

 

けれどもその中心はパリ市長の言う通り、世界規模の下水というかスノッブの嵐。ワイダ監督が登場人物に語らせた意志とロックはほとんどありません。

 

でも時折、それらスノッブを超えた言葉を見る時があります。それらはたいてい、政治や社会から少し距離をとってはいるけれども、社会から遊離しきってはいないもの。同時に「詩」が含まれているもの。

 

時々スノッブの嵐に巻き込まれてめんどくさくはなりますが、突然出会う「詩」を求めて、僕は今も有料会員。僕自身、いろいろ実験したいなと思っています😀

 

インターナショナルでポリコレなリベラルと、強欲資本主義

及川さんがYouTube言論の自由を規制するグローバル主義)と決別し、マスク氏のこのXに完全移行するようだ。

 

21世紀は、20世紀半ばに確立した「リベラル=自由」という構図が完全崩壊している。自由の中でも最も重要な「言論の自由」を守るのは、保守conservative(具体的にはX)へと移行した。

 

リベラルはむしろ、マルクス主義のなかでも懐かしいインターナショナル運動へと回帰している。皮肉なことにこれと相性がいいのが経済的グローバル主義で、いわゆる「強欲資本主義」とインターナショナルのリベラルが共存し覇権を握っているのが国際的潮流だ。

 

ここに、ポリティカルコレクトネスがくっつき、紋切り的で極端な弱者保護というタテマエのもと、さらに言論の自由を抑圧する。この過程でサバルタン/真の当事者を隠蔽する(たとえば、フェミニズムという旧来思想が隠蔽する「子ども」)。

 

Xを見ていても、お若い頃は良心的リベラルだった方々が、現在はコンサーバティブ化している。これらは意識的にコンサバ化したのではなく、言論の自由を奪う抑圧的リベラルを避けているうちにコンサーバティブへと辿り着いたようだ。

 

おもしろいのは、宗教者でもある及川さんが最後に辿り着いたのが「闘い」だということ(動画最後に出てくる言葉)。闘いという常套句は前世紀はリベラルのものだったが、現在は保守のものとなり逆転してしまった。Xがあって本当によかった。

 

 

「起源の善意」が腐敗していった〜「劣化する支援」の系譜学

11/25東京・中野の至誠館大学にて、「オカネはNPOを変えるのか〜NPOのイメージの変遷」というテーマで議論しました。

 

その議論内容は、ここ5年ほど続けてきた「劣化する支援/NPO」の本格的まとめになったので以下に記します。

 

◾️「共通体験」が「支援の専門性」を凌駕した

 

まず、NPOという仕組みについて、制度的な初期のポイントは、「2つの共通体験」だと指摘しました。

 

一つは、「震災(阪神と東日本)」という共通体験。

 

もう一つは、「究極の就職氷河期」という共通体験。

 

この二つの共通体験が、支援の「専門性」を凌駕したのでした。

 

世紀の変わり目頃の、大自然災害と経済災害(あの過酷さは「災害」でした)という二つの「災害」が、専門的支援を凌駕してしまいした。

 

順番的には、阪神大震災就職氷河期東日本大震災と続きました。

 

社会現象とそれらは連動し、①阪神大震災後にNPO法ができ、②就職氷河期に同時に「起業ブーム」と「社会貢献ブーム」が起き、③東日本大震災時に②が強化されました。

 

理論上の専門的支援よりも、あの過酷な共通体験に基づいた「素人性による共感」のほうが説得力を持ったのでした。それと、法律ができたばかりのNPOという仕組みが重なった。

 

我が国の場合、この2つの共通体験こそが、ソーシャルセクター/NPOの基盤になったのでした。

 

◾️素人的サービスが善である

 

それをもとにして、「素人的サービスが善である」という認識が共有されました。その一つがボランティアによる支援です。

 

ボランティア的な学生主体のサービス(不登校予備軍学生へのかかわりスタッフ等)が受け入れられた背景には、「専門性への疑問」のような雰囲気があり、学生の持つ素人性のようなものが歓迎されされました。

 

これがNPO法成立直後〜ゼロ年代初期だと思います。

 

だから、初期の子ども支援系NPOには学生ノリが多く、「起業ブーム」とも重なって、これがむしろ歓迎されました。

 

若者への就労支援も、多少の専門性は必要なものの、どちらかというと「頼れる大人」要素のほうにニーズがありました。

 

いずれも、その基盤には、2つの震災と超就職氷河期という決定的な共通体験があったと思います。

 

◾️発達障害児童虐待の登場

 

ところが実は、おそらく発達障害が問題化したゼロ年代半ば頃から、そうした共通体験に基づいた素人性はむしろ邪魔になってきてもいました。

 

楽しい居場所づくりだけでは、発達障害当事者が傷ついてしまうからです。

 

これに加えて10年代から児童虐待の問題が表面化し、愛着障害PTSD 等の知識なしでは関わりが難しくなってきた。

 

つまりは、NPO業界にも一定の専門性が必要になってきました。たとえばドーナツトークは7人程度の小規模団体ですが、PSW2名と看護師2名が含まれます。

 

◾️「公金サービス」には専門性が欠かせない

 

加えてそこに「公金」が絡むようになりました。

 

これは先日の住吉区フォーラムでも出た話題ですが、「公金サービス」は、サービス利用者を選別することができない、つまりは「オープンサービス」でなければいけないということを意味します。

 

あらゆる子どもをまず受け入れる(アウトリーチする)には、子どもの問題について専門的知見が欠かせないんですね。

 

その専門性があって初めて、オープンサービスは成り立ちます(情報とアセスメントと目標設定を可能とする←これが戦略的ソーシャルワーク)。その支援施設で受け入れ可能かどうかの見極めにも、専門性は必要です。

 

ところが現在は、①未だに素人性の功罪を分析できず、②アセスメントや目標設定にも慣れておらず、③「公金」がなくなったらさっさと退場する、等の事態が横行している。

 

◾️「素人性と専門性の交代劇」にNPO側が適応できていない

 

「お金がNPOを変えた」というよりは、「NPOがお金のレベルについていってない」というのが現実でしょう。

 

NPOとしては、「今まで散々奉仕してきたのだから、これからはその分を取り返す」的な、怨恨要素で開き直っているのでしょうが、発達障害PTSDのシリアスさと完全に離反しています。

 

子ども若者支援NPOの「系譜学」は、このような「素人性と専門性の交代劇」にNPO側が適応できていない、という点を含むのでは? と思います。

 

子ども若者のシリアスな状況が、そもそもの支援のあり方(一定の専門性が必要)を浮かび上がらせてきましたが、初期のボランティア的関わりの印象が未だに強烈で、NPO側が専門化することを阻んでいる。

 

素人性が当事者の困難さを隠蔽するという逆転現象が起きていると思うんですね。

 

フーコー的権力の転覆(キリスト教信者の当事者性を、一見弱者ぶった権力者である神父が隠蔽する)が、現代の子ども若者問題にも起こっているのではないか。

 

「劣化する支援」とはつまり、「事後的」に生じた表現であり、そもそもの起源としてはその素人性は歓迎されたイメージでした。

 

その歓迎されたイメージも20年経ち、いつのまにか隠蔽装置として機能しています。素人性は現在、発達障害PTSD等の当事者の苦しみを「隠蔽する力」になってしまいました。

 

以上はいわば、「起源の善意」が腐敗していったと言い換えてもいいでしょう(^o^)

 

↓当日動画はここ(facebook)から。

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オープンサードプレイス(第二世代居場所)と、クローズドサードプレイス(第一世代居場所)

11/22の「居場所のいま」フォーラム(住吉区子ども若者育成支援事業)は充実しました。結論は以下(添付動画ではラスト15分←facebookから閲覧可能です)。

 

▪️「居場所」第一世代と第二世代

 

神戸フリースクール淡路プラッツ(田中がゼロ年代に10年代表を務めました)は「居場所第一世代」であり、クローズドな(メンバーが固定されている)サードプレイス。

 

対して、となりカフェ他の校内居場所カフェは「居場所第二世代」であり、オープンなサードプレイス。

 

クローズドサードプレイスはあらかじめ「安心安全」である(それが第一世代居場所の条件)。

 

対して、オープンサードプレイスは安心安全を模索するものの、それは前提にはなりえず、「その都度の条件」として構築され続ける(安心安全はその都度更新される)。

 

メンバーが限定されず出入り自由なため、スタッフは、「安心安全」を毎回意識する必要があるんですね。

 

だからこそ、オープンサードプレイス(第二世代居場所)は、クローズドサードプレイス(第一世代居場所)に比べて利用者には一定のリスクが生じます。

 

▪️「(利用者を)守りきれない瞬間」をどう防ぐか

 

オープンだからこそ、「(利用者を)守りきれない瞬間」があるんですね(ex.居場所での孤独、コミュニケーションのズレをその場でフォロー/修正できにくい場合がある等)。

 

これを防ぐためには、

 

①セカンドプレイス(学校)と連携する。つまり「ソーシャルワーク」の必要性。
②スタッフのスキルアップとネットワーク化を図る。これもソーシャルワークですね。

の2点が考えられます。

 

2点とも、ヒントは「ソーシャルワーク」なのでした。

 

だから、となりカフェあるいはドーナツトークの居場所カフェ全般においては、「安心安全」「文化の伝達」とともに、「ソーシャルワーク」の重要性を意識しています(ソーシャルワークの基盤である戦略的支援〈①情報②アセスメント③目標④行動計画と実践⑤振り返りの循環〉も常に意識)。

 

この居場所に関する問題提起は徹底的に新しい。だから、解決策①②はこれから更新されていくだろう、というものでした(添付動画では残念ながら、ソーシャルワークに言及する時間はありませんでした)。

 

この議論が「居場所」に関する最新議論だと思います。

 

公的資金が居場所に流入するとそれはオープンになり、その居場所/サードプレイスはリスクを回避することに意識的になる必要があるということです。

 

最後は時間なく急いでしまいましたが、当日のフォーラムでは、ラスト15分以外にも、そこに至るまでの分析はある意味哲学の「現象学」を意識した緻密さがあります。これを可能にしてくれた当日参加者のみなさまと、竹林さん奥田さんに感謝します😀

 

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それは奈良盆地の早朝の霧になり、決して夜のロンドンにはならない〜万葉と五七の魔術①

この頃僕が思うのは、

 

日本語を使った瞬間、その曲は日本語に負けてしまう

 

ということだ。日本語の牽引力は凄まじく、それは結局は万葉集的ノリに遡る。和歌とはよく言ったもので、日本語には西洋的リズムは絶対に乗らない。

 

ここで挙げられているYMO や宇多田やヌジャベスも、結局は英語に走ったり日本語を捨てた。

 

 ※

 

日本語とは日本人の思考そのもので、それはどう足掻いても和歌的リズム、5、7、5的な、とてもぬる〜いが、なぜか早朝の奈良盆地の霧に包まれるようなリリックとリズムに包み込まれる。

 

背後にどれだけ最新の音を構築しても、それは和歌になる。だから清志郎のように和歌に徹したものは突き抜けていくが、多くは細野やヌジャベスや宇多田のように逃げる。

 

日本語をさらに研ぎ澄まし現代詩に近づけると(リリックからポエムへ)西洋的リズムの敗北は顕著になり、それらのポエムの完成度の高さと強い声は、日本ロックではなく

 

「現代的和歌」

 

になっている。

 

 ※

 

そういう拘束性の強い言語で我々の思考は日々積み重ねられている。若者中心に日本語の拘束を解こうとしても、それは初音ミクのようなボツになった万葉集みたいになる。

 

僕は、ここ数年日本の最新音楽ばかり聴いてきてこのことを痛感した。ただこのジャンルで仕事している人たちはこれに気づけない。

 

はっぴいえんども成功した現代和歌だったが、それは松本隆のリリックに加えて、万葉的ドラムスも大きかったと思う。

 

この、日本語の万葉的強靭な拘束性に気づいて諦めない限り、名曲はなかなか生まれない。

フィッシュマンズの曲は柏原譲のベース中心でリリックは単語中心、小沢は開き直って難解な現代詩に向かったが最近のものはすっかり万葉集現代和歌になっている。

 

日本語を使う限りロック(西洋的リズム)には限界がある。それは奈良盆地の早朝の霧になり、決して夜のロンドンにはならない。

 

そのかわり、盆地の早朝の霧には朝日が差し込んで溶け出し、独特の音楽を産む。ロックとしては最弱な言葉だが、現代和歌としてそれを捉えると、世界でも珍しいジャンルが成立している。

 

以上が、音楽について最近考えていることでした😀

 


youtu.be日本のロック史名盤10枚

明確な診断(発達障害やBPD等)のさらなる「底」に潜むトラウマ

目の前に座るクライエントがたとえば発達障害と診断され、アスペルガー特有の行動が目立つとする。あるいはADHD的激しい行動化でもいい。

 

それに常時向き合うことになる支援者としては、「環境改善」を支援の短期目標に掲げ(視覚情報を元にした「その都度の見通し」の明確化等)、長期目標は「卒業・進学」や「障害者就労支援に乗ること」に設定する。

 

この線に沿って支援しつつ、「日々の生きづらさ」を聴き、「その単独的な生」を肯定することを反復する。

 

それでも、支援の中で独特の違和感を感じ始めることもある。それが、環境改善や投薬から零れ落ちる、クライエントそれぞれの社会との不適合だ。

 

その不適合は十人十色なので一般化しにくいが、単なる大幅な遅刻や独特の慎重さや恐怖症等の心理的なものに加え、自律神経の乱れから来るであろう身体の不適合さなどが加わる。大幅な感情の乱れや破壊的人間関係などもある。

 

それらが反復される時、明確な診断(発達障害やBPD等)のさらなる「底」に、いわゆるトラウマが潜んでいるのだろうと僕は推測する。

 

そのトラウマは多くは「児童虐待」的出来事だろうが(深刻な「いじめ」被害も含)、地震等の「自然災害」や凄惨な「交通事故」なども含まれる(「戦争」は現代日本ではまだない)。

 

このように、ティピカルな診断名がつきながらそこからはみ出す行為が反復される時、背景にトラウマ(「出来事」による傷つき)があることを想定してクライエントと関わる/支援することを、トラウマ・インフォームドケアというのだと思う。

 

これはほとんどの人々に応用可能な視点だと、辻田さんと僕(もちろんオックンも)は考える。

 

我々が常日頃接するその支援の困難さについて、会場ともシェアしつつ、静かに、情熱的に語りたいと思います。