tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

「劣等生のこの僕に、素敵な話をしてくれた」〜子どもが大人になるための、大人の態度

僕も30年くらい不登校支援を続けているが(最初は不登校から始まり、その後ひきこもり・発達障害・虐待サバイバー等多岐にわたっている)、支援を始めた頃驚いたのは、

 

「親たちはものすごく悩んでいるんだなあ」

 

ということだった。

 

ハイティーンから20代前半の僕にとって、「親」に代表される大人たちは、ある意味「権力」の象徴であり、それは決して揺るぎない存在だった。

 

そのよくある「紋切り的権力」に対しては常に刃向かい反抗するのが子どもというか10代であり、不登校という選択をした子どもたちに対しては、権力への反抗という意味合いにおいて、僕は尊敬していた。

 

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しかしそうした権力観こそが紋切り的であり、実際は、子どもはもちろんのこと、大人(親)も大いに悩んでいた。

 

不登校の子どもは、僕が期待したほど「自己決定」はできず、誰かからの誘いを常に待っていた。また、まったく大人や学校には反抗していなかった。

 

「反抗」というよりは、学校という誰もが歩む規範的体制に対して順応できない自分を責めていた。

 

だから僕は、そんな子どもたちとのコミュニケーションを大切にし、そんなコミュニケーションから生じる曖昧な「決定」に関しての哲学的分析に励んだ。

 

大人たちも前述の通り、「大人」とはいえないほど悩んでいた。

 

子どもへの声かけの仕方、思春期の子どもへの理解の困難さ、教師との距離感、夫婦関係のあり方等、次から次へと親からは悩みが出た。

 

子どもの悩み、親の悩み、そうした悩みたちを毎日聞きながら僕は、子どもたちがいつのまか変化していく、その不思議な感じが好きだった。

 

そう、悩める10代前半の子どもたちは、いつの間にか「自分の言葉」を持つようになっている。

 

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もちろん、5才頃から、ヒトは親の模倣から脱して、徐々に自分の言葉と価値観を獲得し始める。

 

それは子どもたちを観察していればすぐにわかるのだが、5才前後までの「模倣」を脱し、基本的には親と友達の影響を受けながらも、思春期以前から子どもは「その子らしさ」を獲得するようだ。

 

その、子どもの自分らしさの獲得と、子どもが思春期になって悩み始める親たちのゆらぎは、影響し合っている。

 

僕がそこで親たちに期待するのは、その親自身の「ゆらぎ」を上手に子どもに伝えるということだ。

 

「上手に」という意味は、決して怒鳴らず、また極端に否定的にも諧謔的にもならず、また笑いにすべてを投げ出すことでもなく、素直に自分の言葉でその悩みを静かに語りかけることだ。

 

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もちろん子どもは、堂々とした親からの語り掛けを待っている。

 

だがそれと同時に、結論はないものの、静かに真摯に子どもに話しかけてくる親や大人の声を待っている。

 

そうした大人の静かな語りかけや大人自身の静かだが決して諦めない言葉を聞くことが、僕は、子どもが思春期に突入する最大の準備になると思う。

 

もちろん、思春期に入ってからでも遅くはなく、ボソボソとつぶやくものの決して誇張や偽善ではない、大人自身の言葉は、子どもたちに「未来への扉」を提示すると思う。

 

思春期以降では、たとえばRCサクセションが「僕の好きな先生」で、「劣等生のこの僕に、素敵な話をしてくれた」と歌った、あの美術の先生のように。

 

大人が「やさしさ」について目覚める点に付いては、僕はこの記事(やさしさの根源)語った。

 

それとは別に、思春期の前あるいはその最中に子どもは何かに気づいてく。

 

それがしっかりとしたその人独自の言葉になるためには、そこから30年以上の時間が必要になるかもしれない。

 

けれども、大人や親の微妙だが実直な言葉と佇まいが、その「目覚め」を導いていくことは確かだ。

 

そんな大人に、我々はなっているだろうか。