タイトル: 子どもは語ることができるか~「娘は心中に承諾していた」
公開日時: 2020-10-22 19:46:11
概要文: 子どもは語ることができない。その語れなさに想像力を働かせるのは大人の使命だ。また、その語れ なさの代わりに代弁することも、「昔子どもだった」大人の使命でもある。
本文:
親による子どもを巻き込んだ無理心中というのはそれほど珍しくはないが、その行為は最低最悪の 暴力である。
なぜなら子どもは自分の思いを基本的に語ることはできない。
語っているように大人(親)には見えたとしても、 それは大人(親)の願望に即した語りとなる。
なぜなら、子どもは、いちばん身近な大人の欲望に合わせることが、その子どもの「生存戦略」になるからだ。
身近な大人(多くは親)の願望を叶えるよう、自分の発言や考え方を合わせていくことが子どもがその世の中で 生きていく上での基本となる。 要は、親に気に入られることが、その子自身の「いのち」を維持することにつながるということだ。
だから、単独親権下の我が国で、理不尽にも片方の親に拉致/連れ去られた子どもは、その拉致の理不尽に憤る ことは決してなく、拉致した親の考え方にひたすら「合わせて」いくことになる。
具体的には、自分が拉致されて別居することになったもうひとりの親を憎むことになる。
あるいは、親子無理心中を親から迫られた時、子どもは「親が願うのであれば」と、その願いを受け入れてしま う。
自分が次の瞬間、殺されるというのに、目の前の親の願望に寄り添っていく。
最近、そのような事件がまたあった (https://news.yahoo.co.jp/articles/77f2163289660b73622c20f4d8cdac0d88a92921 「娘は心中に 承諾していた」6歳女児殺害、殺人罪の母親弁護側が主張)。
ここで殺された子どもは、以下のようなやりとりを親としていたという。
{{{ これに対し弁護側は、萩被告が「死にたい。一緒に死んで」と言うと、凜々ちゃんが「痛くないならいいよ」な どと答えたという母子のやりとりを明かし、犯行時に凜々ちゃんは抵抗せず、外傷もなかったと指摘。萩被告が 夫や交際相手と別れ、働きながらの子育てや将来への不安から毎日の生活に絶望し、心中を考えるようになった と訴えた。 :https://news.yahoo.co.jp/articles/77f2163289660b73622c20f4d8cdac0d88a92921|「娘は心中に承 諾していた」6歳女児殺害、殺人罪の母親弁護側が主張
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「痛くないならいいよ」という子ども。その子どもの言葉をそのまま信じてヘリウムガスで殺した親は、その「子 どもを信じて殺す」という行ない自体が最悪の権力であり最低の暴力であるということを想像できない。
そして子どもは、常に身近な大人の思いに寄り添うために生きている。
そして子どもは、おそらく 10 才頃までは自分の言葉をもつことができない。 それまではほとんどが親の言葉の模倣であり、親に気に入られるために生きている。
言葉をもたない存在、言葉のほとんどは身近な親のそれを真似しつつ自己を形成する存在。その存在は、親が「一 緒に死んで」と頼んだ時、「痛くないならいいよ」以外に、どんな言葉を発することができるだろう?
子どもは語ることができない。その語れなさに想像力を働かせるのは大人の使命だ。また、その語れなさの代わ りに代弁することも、「昔子どもだった」大人の使命でもある。
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