tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

子どもは利用される

子どもは「脅威」に利用される
公開日時: 2017-05-16 09:59:25
概要文: 子どもや平和や自分の現実的あり方を(理想主義的ではなく)徹底的に思考しないと、少年兵に象徴されるように、「子ども」と「現場」はすぐに利用される。

本文:

 

■「今そこにある危機


先週はずいぶん北朝鮮関係でメディアが騒がしかった。

アメリカがついに武力発動させるとか中国もついに我慢 の限界とか韓国も新大統領でどうなるのかとか、まったくゴルゴ 13 好き「おじさん好み」の話題でありながら (僕も実はほとんど読んでる)、その「脅威」の現実性から、列島を呑み込むほどの話題になっている。


僕は少し前に当欄でhttps://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20170509-00070766/ バーター (抱き合わせ)としての高校無償化という記事を書き、現政権が自らの悲願である憲法 9 条改正を高校無償化 という社民主義的なマターを抱きわせにして乗り切ろうとしているとして、いくぶん皮肉を込めて書いてみた。


野党の弱小化という好材料はあるにしろ、現政権はいまだ 50%の支持を得ている。これはおそらく最近指摘さ れるようになった「消極的容認」なのだろうが、それと同時に、外交の緊張状態という点も含まれるだろう。


「ミサイル」という、小説や映画の中でしか知らない用語が、まさに「今そこにある危機」としてメディアで叫 ばれる。そのとき、理想的平和主義の上に議論を積み重ねてきたリベラルの多くは、その存在感が薄くなる。


ここで皮肉なのは、「バーター(抱き合わせ)」として「子ども」という概念を併設して語ることの有効性だ。こ の平和、この子どもたちの笑顔を守るためには、積極的に安全保障を語る必要があるという指摘に対して、反論 することが難しくなってしまう。


■子どもは「小さな大人」だった


世界では(特にアフリカでは)「少年兵」の問題が語られ、子どもは戦争の被害者どころか「現場の尖兵」として 利用されているエリアもある。

この場合も当然子どもは「被害者」なのではあるが、皮肉なことに、洗脳された 少年兵も戦場では人を殺す。

殺したあと(ハイティーンで)退役し重い PTSD に襲われたとしても、戦場という 現場では加害者ではある。


この場合、PTSD と洗脳の被害者ではあるものの、戦場では子ども兵士は加害者であり、その現場では子どもは「子ども」という概念におさまる人ではなく、

「小さな兵士」「小さな大人」

として扱われる。


産業革命までは子どもは「小さな大人」だった(P.アリエスhttp://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html 〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活 L’ENFANT ET LA VIE FAMILLIALE SOUS L’ANCIEN REGIME)のと同じように、現代の戦場でも現場においては子どもは「小さな兵士」だ。


だから現在、戦争の脅威とバーターで子どもという平和を守らなければいけないという思考は、それほど古いも のではなく、おおまかにはここ 200 年ばかりの価値だと思う。

エリアによっては、戦争と子どもは対立概念にはならず、戦争という大きな事象の中に仕方なく巻き込まれる人 間の一部として、子どもは位置づけられてもいる。


つまり、子どもだからといって特別視はできず、戦争という「不思議」というか「人間」を定義する時の一項目 にどうしても巻き込まれてしまう不幸な事象の中の人々の一部として、位置づけられても珍しくはない。


■「子ども=絶対弱者」はラッキー


現在の日本においては、子どもにとってラッキーなことに、子どもは絶対弱者として位置づけられる。

アフリカ の子どもは少年兵にならされるが、日本の子どもは「子ども」として守られる。


哲学的な深いレベルになると、前回ほかで僕が指摘するように、子どもや赤ちゃんは「徹底的に守られるが徹底 的 に 大 人 を 癒 や す 存 在 」 で も あ る ( https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20170510- 00070793/ こども保険の「心地よさ」~責任と正義を超える笑顔と身体の躍動、「守ってあげたい」)。

こうした価値がベースになり、日本の子どもは守られ、その守って当たり前という価値が、外交政策的レベルに おいては、集団的自衛権をもつことの間接的根拠となっている。


これは巧妙ではあるが、多くの日本人の価値を踏まえた保守政権らしいやり方だ。

その巧妙さを受け止 めて対案を出すくらいでないと、現在の野党勢力は劣勢のままだろう。


平和のために子どもをバーターで出してきた権力と渡り合うためには、「子どものための平和」を堅持する現実 的思考と政策を提言できなければ、野党勢力は劣勢のままだ(論理的にはいずれにしろ「9 条改正」 だろう)。


政治からは距離を置いている子ども支援者たちも、それぞれが抱く「脅威と子ども」の考え方を定立しないと、 いつまでも現場に逃げられないと思う。

子どもや平和や自分の現実的あり方を(理想主義的ではなく)徹底的に思考しないと、少年兵に象徴されるよう に、「子ども」と「現場」はすぐに利用される。★