tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ

【◾️作者
不明(防人(さきもり)の妻)

 

◾️よみ


この月は 君来まさむと 大船(おおふね)の 思ひ頼(たの)みて いつしかと 我が待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 蛍(ほたる)なす ほのかに聞きて 大地(おほつち)を ほのほと踏みて 立ちて居(ゐ)て  ゆくへも知らず

 

朝霧(あさぎり)の 思ひ迷(まと)ひて 杖(つゑ)足らず 八尺(やさか)の嘆(なげ)き 嘆けども 験(しるし)をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射(い)ゆ鹿猪(しし)の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ

 

◾️意味


今月はあなたが帰ってこられるだろうと、大船に乗った気持ちでいました。いつ戻られるのだろうと待っていると、「黄葉(もみじ)のように、はかなく散ってしまわれた」と使いの人が言うのを、蛍(ほたる)の光のようにうっすらと聞いて、大地を地団太踏んで、立ったり座り込んだりして途方に暮れてしまいました。

 

(朝霧(あさぎり)のなかにいるように)思い迷い、長い長い溜息をついて嘆いてもどうしようもなくて、あなたはどこにいらっしゃるのかと、あなたの行方を追い(射られた鹿や猪のように)死んでしまおうと思うのですが、どの道かもわかりません。ひとりきりであなたを恋しく想うと声を出して泣けてしまいます】

 

万葉集には防人の歌がたくさん所収されているが、これはその防人の夫を亡くした妻の長歌(作者名は不明)。

 

防人は白村江戦の敗北後の7世紀に、対馬壱岐を含めた北九州エリアに配備されたとのこと。その多くは東国から集められたそうだ。

 

歌人としては名もなき女性の歌だけに素朴ではあるが、その整った五七調が余計悲しさを呼ぶ。この場合、長歌の定型が、作者の悲しみを覆い隠すと同時に、その五七定型からこぼれ落ちる感情がこちらの心を打つ。

 

ラストの「哭(ね)のみし泣かゆ」には、ユーミン竹内まりやにそのままメロディをつけてもらいたいところだ😀 たぶんそのような欲望が日本のポップミュージックの根底にある✌️

 

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ミルクを差し出す(adresser)

ライナスの毛布」は結局「ミルク」だった。正確に言うと、添付画面にある「さあミルクを飲んで」という言葉なのだろう。

 

高2の頃初めてこの作品(『バナナブレッドのプディング大島弓子)を読んだ時は、主人公三浦衣良が終盤、髪で顔を隠すこの行為は、自意識過剰が主たる動機だとてっきり思っていた。

 

今回『バナナブレッド』を再読してわかったのは、自意識過剰は過剰でも、より自己否定的な側面が大きいということ。

 

自分/主体を持て余すことからくる顔の隠蔽というよりは、自分のような主体はいなくなったほうが世のためになるという思い込みを主人公は抱えている。

 

自分は「自分」を放棄できないという諦めは受け入れるが、ただ、今のままでは生きていくのが難しい。死の手前にいる主人公が選んだ行為が、だから前髪で顔を隠すことだった。

 

 ※

 

顔を隠した主人公に救いの手を差し伸べるのは、『ライ麦畑』での妹のような近親者ではなく、主人公が淡い恋心を抱く先輩。

 

その先輩はミルクを差し出しadresser 、これを飲めば「心がなごむよ」と、ありきたりの言葉を投げかける。

 

そんな陳腐なシーンが『バナナブレッド』の山場なのだが、主人公は髪で顔を隠したまま先輩を見上げ、差し出されたミルクカップを握りしめる。

 

それまでの錯綜したコミュニケーションは、先輩のシンプルな言葉とミルクの差し出しという行為ににたどり着く。

 

 ※

 

よく考えると、主人公の周りにいる親友も両親も友人たちも誰もそうしたシンプルな行為(ミルクの差し出し)に至らず、全員「複雑でcomplexe」反復する諸行為で主人公を支えようとした。

 

その中で先輩だけがミルクを差し出す(adresser 他者へと向かう)。そのadresserは一方的コミュニケーションではなく、差し出すというその行為には、「受け取ってくれる」という先輩の確信が混入している。

 

先輩は、主人公が顔(自分)を隠すというその行為に責任をどこかで感じているが、その責任には、「このミルクカップを受け取ってくれる」という確信が同居する。

 

またミルクを差し出された主人公は、他者(幼少期の薔薇の木がメタファー)からまさか礼以上の言葉(存在の肯定の言葉)「好き」を言ってもらえるとは思いもよらず、思わずミルクを受け取る(現実のコミュニケーションとなる)。

 

その責任と確信、ミルクという偶然の他者の「現れ」が、大島弓子がたどり着いた、

 

「他者を支える」「他者に支えられる」

 

ということなのだと思う(以上はデリダの議論でもあります)。

 

これらは、僕が日々の支援で目指していることです😀

 

どうしてもそこに「私」という語を使ってまうのが、ことば

拙論「青少年支援のベースステーション」(人文書院『いまを読む』所収)に、先ほどのadresse(『バナナブレッドのプディング』で描かれるミルクの差し出し)について言及しています。デリダ議論の中で僕が論じたのは『ユリシーズグラモフォン』でした😀

 

以下は、論文写真より当該部分です😀

 

デリダは、このウィに関して、「『私という形式』をまとって」として用心深く表現しながらも、どうしてもそこに「私」という語を使ってしまわざるをえないことの難しさについて串直に述べている。

 

この点がデリダの特徴だと僕は思っていて、通常言うところの自我に先行するものとして「未規定で最小の差し向け」としてのウィがあるとして、それを差し向け adresseとして表現しながらも、それはたとえば「私という形式」で語らざるをえないという。

 

デリダは、「ウィという主題に関してはメタ言語は常に不可能であろう」(Ug一五三、p127)とも言い切る。言語(つまりは自我のレベル)そのものがこのウィを前提としているため、言語ではウィは表現できない。

 

だからそれは仕方なく、「私」として表現される。そして、ウィそのものは「痕跡」となる】

 

 ※

 

『いまを読む』人文書院から、田中原稿「青少年支援のベースステーション」。
この4ページでデリダ「ウィウィ」の半分を説明していますが、10年以上たってこれベースの中編小説を書いている現在、原稿後半に示した2つ目のウィ(未コピー)と、ここに書く1つ目のウィはもっと混在しているなあと思い始めました。

 

 

うつせみと、思ひし時に、取り持ちて、我がふたり見し、走出の、堤に立てる、槻の木の、こちごちの枝の、春の葉の、茂きがごとく、思へりし、妹にはあれど 〜万葉と五七の魔術

そもそも日本語のロックはなぜあんなに不自由なんだろうと思い、結局「五七調」に囚われたシニフィアンのせいだろうと思って始めたこのシリーズ、いつのまにか4回続いています。

以下に、4本のURLをコピペしますね。

はっぴぃえんどからYOASOBIまで、結局この罠から抜け出せないと僕は思います。

いや、引用した柿本人麻呂の万葉仮名によるこの挽歌を、未だに我々は超えることができないんじゃないでしょうか。

時間ができた時、これからも綴っていく予定です♪

 

 ※

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山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ〜万葉と五七の魔術④

【原文: 君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待

作者: 衣通王(そとほしのおほきみ)

よみ: 君が行き、日(け)長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ

 

意味:あなたがいらっしゃってから、ずいぶんと日が過ぎてしまいました。山たづのように、あなたを迎えに行きましょう、待ってなんかいられないわ】

 

 ※

 

万葉集第2巻(全部で20巻ある)は、相聞と挽歌で構成されており、死者を悼む後者の一つ(柿本人麻呂の挽歌)を先日シェアした。

 

日常のコミュニケーション(主として恋愛)をテーマにする相聞に長歌形式はあまり見られず、ここに引用した短歌形式(この歌自体の背景は壮絶)が多い。

 

高校時代は僕はこの万葉仮名の意味がイマイチわからなかったが、要するにシニフィアン(言葉の音)の当て字なんですね。

 

この歌の末尾は普通の漢文のような気もするが、日本語シニフィアン歌を万葉仮名として表記する過程で、その「うた」が強化されていき、万葉仮名が通常のひらがなとして後に表記されることでその「五七調」が完成されたのだろうか。

 

そのあたりの専門書も探してみようかな。

 

我々が日本語でロックする時にも、その日本語ロックそのものの前提にこの強力な五七調がある。はっぴぃえんどは日本語ロックを構築したのではなく、どう足掻いても日本語ではロックできないと諦めた記録があの3枚なのだと思います。

 

「さよならアメリカ」は、「さよならロック」に僕には聞こえ、だから松本隆はバリバリ五七調の歌謡曲(現代の万葉相聞歌)に回帰したような😿

 

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うつせみと、思ひし時に、取り持ちて、我がふたり見し、走出の、堤に立てる〜万葉と五七の魔術③

【うつせみと、思ひし時に[一云(いちにいわく) うつそみと、思ひし]、取り持ちて、我(わ)がふたり見し、走出(はしりで)の、堤(つつみ)に立てる、槻(つき)の木の、こちごちの枝(え)の、春の葉の、茂(しげ)きがごとく、思へりし、妹(いも)にはあれど、


頼(たの)めりし、子らにはあれど、世間(よのなか)を、背(そむ)きしえねば、かぎるひの、燃(も)ゆる荒野(あらの)に、白栲(しろたへ)の、天領巾(あまひれ)隠(がく)り、鳥じもの、朝立(あさだ)ちいまして、入日(いりひ)なす、隠(かく)りにしかば、我妹子(わぎもこ)が、形見(かたみ)に置(お)ける、みどり子の、乞(こ)ひ泣くごとに、取り与(あた)ふ、物しなければ、 男(をとこ)じもの、脇(わき)ばさみ持ち、我妹子(わぎもこ)と、ふたり我(わ)が寝(ね)し、枕(まくら)付(つ)く、妻屋(つまや)のうちに、昼はも、うらさび暮らし、夜はも、息づき明かし、嘆(なげ)けども、


為(せ)むすべ知らに、恋(こ)ふれども、逢(あ)ふよしをなみ、大鳥(おほとり)の、羽(は)がひの山に、我(あ)が恋(こ)ふる、妹(いも)はいますと、人の言(い)へば、岩根(いはね)さくみて、なづみ来(こ)し、よけくもぞなき、うつせみと、思(おも)ひし妹(いも)が、玉(たま)かぎる、ほのかにだにも、見えなく思へば】

意味
【この世に生きている思っていた時に、手をとって二人で見た走出の堤(つつみ)に立っている槻(つき)の木のあちらこちらの枝の春の葉が茂っているように思っていた妻だったけれど、
世のならいには逆らえないので、かぎろいの燃(も)える荒野に白い布に包まれて鳥のように朝に(あの世に)発ってしまって、隠(かく)れてしまったので、妻が形見に残したおさな子が泣くたびに与える物も無いので、男の身なれど、子を脇にはさんで、妻と二人で寝た離れの家の中で、昼は寂しく暮らして、夜はため息をついて嘆くけれど、

どうしていいかわからず、妻を恋しがっても会うこともできないので、羽(は)がひの山に、私の妻がいると人が言うので、岩を上ってやっとのことで来た、その甲斐(かい)もないことです。この世に私と一緒に生きていると思っていた妻が、ほのかにさえも見えないのだと思うと。。。】

 

 ※

 

万葉仮名の原文は漢字だらけだが、柿本人麻呂の優れた長歌(挽歌)。

 

ここでも続く五七調の力強さは、現代の日本のロックではとても敵わず、かといって気を衒った日本語風英語詞も決定的に弱い。

 

そもそも「音」として五七調がすでに完成しており、そこに当て字として万葉仮名が形成され、そこからかなカナ形成へと続く飛鳥から平安に至る数百年で、すでに日本人の思考様式(ラカンふうに言うと象徴界の形式)が完成している。

 

この縛りが我々日本語を使う人々の基本にある。この縛りは強力で、またほぼ完成されており、清志郎矢野顕子ユーミンも米津玄師も敵わない。

 

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野守は見ずや君が袖ふる〜万葉と五七の魔術②

【茜(あかね)さす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る】

 

この頃、日本のロックやジャズばかり聴いてきたと同時に、アメリカやイギリス、ブラジルやフランスほかの音楽も僕は聴く。

 

それらを聴けば聴くほど、日本語(という思考様式)の拘束について考える。

 

その「五七調の魔術」のようなものが、常に日本人の思考を拘束する。そこからどれだけ逃げようとしても、日本語で歌う限り、あるいは日本語で思考する限り、我々は「万葉の罠」のようなものに縛られている。

 

それならいっそのこと、その原点である万葉集に還ってみようと思った。全20巻のなかから、代表的な短歌をあらためて読んでいこうと思う。

 

ラカンドゥルーズのいう象徴界le symboliqueに我々は2才頃の言語獲得後に入り込んでいくとして、それ以降死ぬまで行なわれる思考様式がこの独特な五七調で行なわれるのは不思議すぎる。

 

イギリスのパンクロックのように叫びきれない、母音の連なりと拘束と万葉の山々のこだまが、我々を2,000年以上(日本語成立の頃から)拘束している。それをぼちぼち研究しようかなと😀

 

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