tanakatosihide’s blog

一般社団法人officeドーナツトーク代表、田中俊英のブログです。8年間Yahoo!ニュース個人で連載したものから「サルベージ」した記事も含まれます😀

明治維新(被植民地化脱却)と敗戦(独立放棄)に続く、最新の難局〜少子化による「地方」の消滅

◾️1億人到達!」と世間が騒いでいたあの頃

 

最新の出生数は72万6000人、当たり前だけど過去最少。

去年の「出生数」全国72万6000人で過去最少か 日本総研 | NHK | 少子化

 

その前年度が75万人。最新出生数は3万人減って72万人。記事ではこの急減をコロナ禍による婚姻数の減少に関連づけるが、コロナ前からこの勢いで減ってはいた。来年はもしかして70万人を切るかもしれない。

 

いま後期高齢者団塊世代が260万人、団塊ジュニアが200万人強、僕が属する「新人類/バブル」世代が180万人程度。団塊ジュニアの1/3、団塊の1/4にまで減った。

 

厚労省総務省予想では、この減少トレンドが継続すると、出生数は25年後の2050年過ぎには50万人強となり、人口は9,000万人台へと突入するのだそうだ。

 

思い起こすと、僕が小学生の頃(70年代前半)、「1億人到達!」と世間が騒いでいたから、あれから50年たって元に戻ることになるなる。

 

けれどもあの頃はどこに行っても子どもばかりで、街がうるさかった。逆に老人は少なく、ひっそりと生きていた。

 

◾️明治維新から150年、原爆投下+敗戦(独立放棄)+再独立から70年、次の難局

 

予想では現状を維持できるのは東京だけだという。地方都市は一学年50〜70万人の若者/現役世代では維持できないだろう。僕が将来の若者だとしたら、18才になり四国を出て選ぶ大学は、京都/大阪ではなく(とにかく僕は京都と大阪が好きだった)、東京を選ぶと思う。

 

フランスやイギリスは日本より人口が少ない割に豊かだとよく言われるが、あれら植民地主義列強国は繁栄後の時間が長く「人口維持慣れ」している(現実は100年で1,000万人増加)。そして意外にヨーロッパは農業国が多く、日本よりは「自前で」食べる割合が高い。

 

明治維新から150年、原爆投下+敗戦(独立放棄)+再独立から70年、明らかにいま日本は新たな局面に入っている。敗戦(1945)や被植民地化脱却(1868)といった明確な難局ではなく、現代の難局の核心がなかなか見えなかったが、どうやら「少子化による人口の分散と地方の消滅」がそれのようだ。

 

政権は未だに少子化対策云々と言うが、この30年トライし続けていてこの現状だから、明らかに失敗している。不登校30万人と同じで、権力は自らの政策の失敗を認めることはできない(それが「権力」の定義)。

 

◾️ビジョンを示す責任responsabilité

 

80年後の2,100年代には人口は4,000万人程度になり、今のイギリスよりもはるかに「小さい」国になる。その頃は今生まれている赤ちゃんたちが老人になっている。

 

人生の先達である現在の老人たち(含僕)は、この大難局に対して、せめて戦略めいたビジョンを示す責任responsabilitéがある。だが僕も60才が見えて思うことは、身体が徐々に弱り(メンタルは逆にイライラしたり)、ついつい責任放棄してしまいそうになることだ。

 

そんな衝動は我慢して、せめて自分がずっと関わってきた「教育」や「思春期の乗り越え」等の問題群に明確に答えを出していきたい。

 

「残された時間」が見えないというのも、また人生の醍醐味✌️

 

去年の「出生数」全国72万6000人で過去最少か 日本総研 | NHK | 少子化

 

今日降る雪の、いやしけ吉事〜万葉集のラスト短歌

【新しき、年の初めの、初春の、今日降る雪の、いやしけ吉事】

 

万葉集のラスト(4516首目!)は、編者である大友家持によるお正月の平和なうた。意味は、「新しい年の初めの初春の、今日降る雪のように、良いことがもっとありますように」とされている。

 

ちなみにタイトルにもしたこの短歌の下の句の原文(万葉仮名)は、

 

「家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」

 

になります。この強引さがたまらない。

 

万葉集のあと、日本の上代文学は終わり、(現在見られる)かなと短歌(長歌は激減)で構成される古今和歌集の時代が始まる(この下の句に見られるように、万葉集は「当て漢字」の万葉仮名)。

 

万葉集のこのラスト和歌は、原文は万葉仮名だが、すでにノリはかな文学。万葉集の130年をかけて日本の五七調は完成され、紋切り調の短歌が我々の思考と文学と生活の基盤をつくった😀

 

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道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ

【◾️作者
不明(防人(さきもり)の妻)

 

◾️よみ


この月は 君来まさむと 大船(おおふね)の 思ひ頼(たの)みて いつしかと 我が待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 蛍(ほたる)なす ほのかに聞きて 大地(おほつち)を ほのほと踏みて 立ちて居(ゐ)て  ゆくへも知らず

 

朝霧(あさぎり)の 思ひ迷(まと)ひて 杖(つゑ)足らず 八尺(やさか)の嘆(なげ)き 嘆けども 験(しるし)をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射(い)ゆ鹿猪(しし)の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ

 

◾️意味


今月はあなたが帰ってこられるだろうと、大船に乗った気持ちでいました。いつ戻られるのだろうと待っていると、「黄葉(もみじ)のように、はかなく散ってしまわれた」と使いの人が言うのを、蛍(ほたる)の光のようにうっすらと聞いて、大地を地団太踏んで、立ったり座り込んだりして途方に暮れてしまいました。

 

(朝霧(あさぎり)のなかにいるように)思い迷い、長い長い溜息をついて嘆いてもどうしようもなくて、あなたはどこにいらっしゃるのかと、あなたの行方を追い(射られた鹿や猪のように)死んでしまおうと思うのですが、どの道かもわかりません。ひとりきりであなたを恋しく想うと声を出して泣けてしまいます】

 

万葉集には防人の歌がたくさん所収されているが、これはその防人の夫を亡くした妻の長歌(作者名は不明)。

 

防人は白村江戦の敗北後の7世紀に、対馬壱岐を含めた北九州エリアに配備されたとのこと。その多くは東国から集められたそうだ。

 

歌人としては名もなき女性の歌だけに素朴ではあるが、その整った五七調が余計悲しさを呼ぶ。この場合、長歌の定型が、作者の悲しみを覆い隠すと同時に、その五七定型からこぼれ落ちる感情がこちらの心を打つ。

 

ラストの「哭(ね)のみし泣かゆ」には、ユーミン竹内まりやにそのままメロディをつけてもらいたいところだ😀 たぶんそのような欲望が日本のポップミュージックの根底にある✌️

 

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ミルクを差し出す(adresser)

ライナスの毛布」は結局「ミルク」だった。正確に言うと、添付画面にある「さあミルクを飲んで」という言葉なのだろう。

 

高2の頃初めてこの作品(『バナナブレッドのプディング大島弓子)を読んだ時は、主人公三浦衣良が終盤、髪で顔を隠すこの行為は、自意識過剰が主たる動機だとてっきり思っていた。

 

今回『バナナブレッド』を再読してわかったのは、自意識過剰は過剰でも、より自己否定的な側面が大きいということ。

 

自分/主体を持て余すことからくる顔の隠蔽というよりは、自分のような主体はいなくなったほうが世のためになるという思い込みを主人公は抱えている。

 

自分は「自分」を放棄できないという諦めは受け入れるが、ただ、今のままでは生きていくのが難しい。死の手前にいる主人公が選んだ行為が、だから前髪で顔を隠すことだった。

 

 ※

 

顔を隠した主人公に救いの手を差し伸べるのは、『ライ麦畑』での妹のような近親者ではなく、主人公が淡い恋心を抱く先輩。

 

その先輩はミルクを差し出しadresser 、これを飲めば「心がなごむよ」と、ありきたりの言葉を投げかける。

 

そんな陳腐なシーンが『バナナブレッド』の山場なのだが、主人公は髪で顔を隠したまま先輩を見上げ、差し出されたミルクカップを握りしめる。

 

それまでの錯綜したコミュニケーションは、先輩のシンプルな言葉とミルクの差し出しという行為ににたどり着く。

 

 ※

 

よく考えると、主人公の周りにいる親友も両親も友人たちも誰もそうしたシンプルな行為(ミルクの差し出し)に至らず、全員「複雑でcomplexe」反復する諸行為で主人公を支えようとした。

 

その中で先輩だけがミルクを差し出す(adresser 他者へと向かう)。そのadresserは一方的コミュニケーションではなく、差し出すというその行為には、「受け取ってくれる」という先輩の確信が混入している。

 

先輩は、主人公が顔(自分)を隠すというその行為に責任をどこかで感じているが、その責任には、「このミルクカップを受け取ってくれる」という確信が同居する。

 

またミルクを差し出された主人公は、他者(幼少期の薔薇の木がメタファー)からまさか礼以上の言葉(存在の肯定の言葉)「好き」を言ってもらえるとは思いもよらず、思わずミルクを受け取る(現実のコミュニケーションとなる)。

 

その責任と確信、ミルクという偶然の他者の「現れ」が、大島弓子がたどり着いた、

 

「他者を支える」「他者に支えられる」

 

ということなのだと思う(以上はデリダの議論でもあります)。

 

これらは、僕が日々の支援で目指していることです😀

 

どうしてもそこに「私」という語を使ってまうのが、ことば

拙論「青少年支援のベースステーション」(人文書院『いまを読む』所収)に、先ほどのadresse(『バナナブレッドのプディング』で描かれるミルクの差し出し)について言及しています。デリダ議論の中で僕が論じたのは『ユリシーズグラモフォン』でした😀

 

以下は、論文写真より当該部分です😀

 

デリダは、このウィに関して、「『私という形式』をまとって」として用心深く表現しながらも、どうしてもそこに「私」という語を使ってしまわざるをえないことの難しさについて串直に述べている。

 

この点がデリダの特徴だと僕は思っていて、通常言うところの自我に先行するものとして「未規定で最小の差し向け」としてのウィがあるとして、それを差し向け adresseとして表現しながらも、それはたとえば「私という形式」で語らざるをえないという。

 

デリダは、「ウィという主題に関してはメタ言語は常に不可能であろう」(Ug一五三、p127)とも言い切る。言語(つまりは自我のレベル)そのものがこのウィを前提としているため、言語ではウィは表現できない。

 

だからそれは仕方なく、「私」として表現される。そして、ウィそのものは「痕跡」となる】

 

 ※

 

『いまを読む』人文書院から、田中原稿「青少年支援のベースステーション」。
この4ページでデリダ「ウィウィ」の半分を説明していますが、10年以上たってこれベースの中編小説を書いている現在、原稿後半に示した2つ目のウィ(未コピー)と、ここに書く1つ目のウィはもっと混在しているなあと思い始めました。

 

 

うつせみと、思ひし時に、取り持ちて、我がふたり見し、走出の、堤に立てる、槻の木の、こちごちの枝の、春の葉の、茂きがごとく、思へりし、妹にはあれど 〜万葉と五七の魔術

そもそも日本語のロックはなぜあんなに不自由なんだろうと思い、結局「五七調」に囚われたシニフィアンのせいだろうと思って始めたこのシリーズ、いつのまにか4回続いています。

以下に、4本のURLをコピペしますね。

はっぴぃえんどからYOASOBIまで、結局この罠から抜け出せないと僕は思います。

いや、引用した柿本人麻呂の万葉仮名によるこの挽歌を、未だに我々は超えることができないんじゃないでしょうか。

時間ができた時、これからも綴っていく予定です♪

 

 ※

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山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ〜万葉と五七の魔術④

【原文: 君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待

作者: 衣通王(そとほしのおほきみ)

よみ: 君が行き、日(け)長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ

 

意味:あなたがいらっしゃってから、ずいぶんと日が過ぎてしまいました。山たづのように、あなたを迎えに行きましょう、待ってなんかいられないわ】

 

 ※

 

万葉集第2巻(全部で20巻ある)は、相聞と挽歌で構成されており、死者を悼む後者の一つ(柿本人麻呂の挽歌)を先日シェアした。

 

日常のコミュニケーション(主として恋愛)をテーマにする相聞に長歌形式はあまり見られず、ここに引用した短歌形式(この歌自体の背景は壮絶)が多い。

 

高校時代は僕はこの万葉仮名の意味がイマイチわからなかったが、要するにシニフィアン(言葉の音)の当て字なんですね。

 

この歌の末尾は普通の漢文のような気もするが、日本語シニフィアン歌を万葉仮名として表記する過程で、その「うた」が強化されていき、万葉仮名が通常のひらがなとして後に表記されることでその「五七調」が完成されたのだろうか。

 

そのあたりの専門書も探してみようかな。

 

我々が日本語でロックする時にも、その日本語ロックそのものの前提にこの強力な五七調がある。はっぴぃえんどは日本語ロックを構築したのではなく、どう足掻いても日本語ではロックできないと諦めた記録があの3枚なのだと思います。

 

「さよならアメリカ」は、「さよならロック」に僕には聞こえ、だから松本隆はバリバリ五七調の歌謡曲(現代の万葉相聞歌)に回帰したような😿

 

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